いちいちネット上で「ご冥福をお祈り」するのもどうかと思う
俳優の大杉漣が急逝したというニュースは、正直とても驚いた。まだまだいぶし銀のバイプレイヤーとして活躍できる年齢であるにも関わらず、しかも撮影期間中に死すとは。残念でしかたない。
そして、ネットのみなさんはこぞって大杉漣との思い出を独り語りし始める。誰もお前の独り語りなんて聞きたくないし、そもそもお前は大杉漣と関係ないだろうと。スクリーン、あるいはテレビ画面に出てくる大杉漣を一方的に見ていただけだろう。無名の有象無象が堂々とドヤ顔で「ご冥福をお祈りします」と結びのツイートしてしまう姿に、厚顔無恥さを感じずにはいられない。それは心中で祈ればいいのであり、ただの一視聴者にすぎないネット民がいちいちネット上で表明することではないのではないか。
そもそもいちいちネット上でご冥福をお祈りしたり、黙祷をしたりをいちいち書き込むことに意味はあるのか。そんなものは承認欲求を満たしたいだけの自己満足ではないのか。冥福を祈っている自分に酔っているだけではないか。じっくりと考えてから実行に移すべきだろう。場合によっては死者へお冒涜になるのではないか、と。
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このブログの存在すらすっかり忘れていた
人間のフリをしたゴキブリばかり
この国で心を病まずに暮らすライフハックとして「この国には大人は1人もいない、歳をとった幼児が多いし、良くて中学生レベルだ」と思って他人と接する、というものがある。「相手を大人だと思って尊敬して期待する」と、大抵は失望する。逆に「歳をとった幼児」と思えば諦めがつく。
— ぽん@考え事 (@pon30motokei) 2017年9月28日
この人は相手をまだ「人間」だと思って接しているだけ、まだいい人だと思う。自分は「この国には人間は一人もいない。人間のフリをしたゴキブリが多いし、良くてカメムシレベルだ」と思って他人と接している。
しかし、本当にゴキブリが多い。果たして自分は何者なのかわからなくなるくらいゴキブリが多い。