如何ともしがたい何か

便所の壁に殴り書き

情報の過食状態から抜け出すべきだと思う

 ネットを活用することでさまざまな情報を入手できることで、自分の知性を高めることができるという理想が、インターネットの出始めのころはよく言われていた。しかし、現実としてネットを通してわれわれの前には、あふれるようにクソのようなコンテンツしか流れてこない。結局はどうでもいいクソのような情報を無理やりネットを見る人に押しつけることでカネを稼ぐという商売がなりたってしまっており、情報の過食状態がずっと続いている。

 いつのころからか、はてなブックマークなんてのも使わなくなったし、ツイッターもやめた。ヤフーをはじめとするポータルものぞかなくなった。ニュースは受信料のもとを取る意味でNHKのニュースサイトしか見ていない。フェイスブックなんてもとからやってなかったし、インスタグラムなんてそもそも何たるかが分かってない。

 簡単にどんな情報でも手に入るこのような情勢にあるからこそ、摂取する情報の取捨選択が必要になってくる。問題なのはその取捨選択の基準をどうするかだが、そこは個人の知的レベルにかかっていると思う。SNSなどネットを駆使してあらゆる情報にリーチしてうまく立ち回っているつもりでも、遠くからみればそういうつもりになっているだけで、SNSでいろいろな話につばをつけて悦に入ってるだけである人がいかに多いことか。情報処理の自己満足。あるいは自慰行為。

 とはいえ、そういう自己満足なプライドだけは高いバカをうまく騙すことでネット業界は収益を得ているのだから、まあそういう意味では良くできた系であると感じる。

いちいちネット上で「ご冥福をお祈り」するのもどうかと思う

 俳優の大杉漣が急逝したというニュースは、正直とても驚いた。まだまだいぶし銀のバイプレイヤーとして活躍できる年齢であるにも関わらず、しかも撮影期間中に死すとは。残念でしかたない。

 そして、ネットのみなさんはこぞって大杉漣との思い出を独り語りし始める。誰もお前の独り語りなんて聞きたくないし、そもそもお前は大杉漣と関係ないだろうと。スクリーン、あるいはテレビ画面に出てくる大杉漣を一方的に見ていただけだろう。無名の有象無象が堂々とドヤ顔で「ご冥福をお祈りします」と結びのツイートしてしまう姿に、厚顔無恥さを感じずにはいられない。それは心中で祈ればいいのであり、ただの一視聴者にすぎないネット民がいちいちネット上で表明することではないのではないか。

 そもそもいちいちネット上でご冥福をお祈りしたり、黙祷をしたりをいちいち書き込むことに意味はあるのか。そんなものは承認欲求を満たしたいだけの自己満足ではないのか。冥福を祈っている自分に酔っているだけではないか。じっくりと考えてから実行に移すべきだろう。場合によっては死者へお冒涜になるのではないか、と。

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