如何ともしがたい何か

便所の壁に殴り書き

やっぱり器用は損だよな、という話

 最近、仕事場での仕事を器用にこなすことが得策ではないと感じるようになった。というのも、各方面から降りかかってくる仕事をこなしていると、「あいつはできるやつ」みたいな感じで無茶ぶりがどんどんと増えてくることが分かったからだ。

 どこで誰か言い出したのか知らないが、「仕事は忙しいやつにまかせろ」という言説がある。これを額面通りで受け取って、忙しいやつにどんどんと仕事を任せるバカが量産されているのだろうが、いかにもバカの所業。まあまあバカとまでは言わないが、本来ならば効率的な仕事の分配が組織全体を効率的に動かすことになるのだろうが、変な言説のせいでいびつになっている。行き着く先は、仕事ができる人の過労死であることは言うまでもない。

 効率的な仕事の配分ができなければ、その組織は壊死する。それは、仕事ができる人が過労死する、あるいはあきれて新天地を求めて退職するという事象で表面化する。そして、そこまでは仕事ができない人に仕事が降りかかる。あとは最初に戻る負のサイクルというわけだ。

 まったく、管理職というのはいったい何を管理しているのだろうか。

「リア充を爆発させる」時代

 非モテ人間が過激化して誕生した「インセル(Incel)」がアメリカで無差別テロをして社会問題化しているのはニュースの通り。

 こういうインセルのような過激思想の緩いつながりが発生する土壌は、日本にもきちんと醸成されていると思っている。いつどこで「リア充爆発しろ」と叫びつつ物理的に爆発させるような事件は起こりうると思う。かなりの確率で。

 そういえば秋葉原でも無差別連続殺人事件があったっけ。

 これは資本家と労働者の対立による革命思想と似てると思っていて、その根底には「独占をずるい」とか今の社会的立場では「何をやってもだめ」という悲観的現状から、ならば暴力革命しかないという運動の形成と同じだと思う。

 「リア充は爆発しろ」ではなく、「リア充を爆発させる」時代なのだと感じる。

特記すべき案件なし

 ダラダラと仕事をする自分にとって、よく言われる「締切効果」っていうのは割と効く対策なのだが、問題なのはその締切というのが、何かあったら実際に他人様に迷惑をかける締切でないとスイッチが入らないということ。よく自分自身で締切を設定しろという話があるが、それだと完全に守らない、守れない。ほんとに冷や汗が出るような締切を自分自身で設定することができればいいのだが、そのあたり、どうしても自分で何のかんのと言い訳と甘えで守れない。

 何かよい手はないのだろうか。