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如何ともしがたい何か

便所の壁に殴り書き

フィリップ・K・ディック「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」

 映画『ブレードランナー』の原作だが映画の方は見たことがない。
 自分は近未来を舞台としたSFは苦手だ。なぜならば、現代や過去を舞台にしたものに比べて舞台の設定がばらばらであり、自分の中でイメージ構築するのに四苦八苦するからだ。もちろん未来を舞台にするだけに設定が作品ごと・作家ごとに定まらないのは当然であり、それが近未来SFの良さなのかもしれないが。
 この本も核戦争と思しき「最終戦争」後という近未来を舞台とした物語だ。一行でストーリーを表現すると「お巡りさん、アンドロイドを始末する」で終わる。本当にそれだけの話だ。これだけの情報だと、映画の方はさぞかしSFXを駆使したアクション映画なのだろうと想像してしまう。どうなのだろうか、実際。映画見てないしわかんない。しかし、自分が映像として想像すると、どうもハリウッド風味のアクション映画にはならない。地味な欧州の映画のような、何か陰鬱とした空気が全体に漂う。あちらこちらを飛び跳ねながらアンドロイドを追い詰めるというより、まるでホラー映画のようにじわじわと追い詰めていく、そんな感じだ。
 また主人公がアンドロイドの鑑別作業(感情移入度で調べる)を通して、自分の存在について深く踏み込んでいってしまうところなど、どう考えてもアクション映画にはならない。映画見てないが。
 全体を通して「感情移入」がキーワードとなっている。そして、最後にはそれを通して人間である自分を見つける。映画の原作ということで軽い気持ちで手に取った本だったが、難しいテーマだった。最後はハッピーエンドだった。しかしなぜか自分はハッピーな気分にはなれなかった。「感情移入」ができなくて逡巡しているのが今の社会であり、多分アンドロイドの鑑別作業を今の人たちにしたら(変な時系列だけど)誰が本物で誰がアンドロイドなのかわからなくなるのではとふと考えたからだ。
 そう考えると、この本は決して近未来SFではなく、現代のSFなのかもしれない。

アンドロイドは電気羊の夢を見るか? (ハヤカワ文庫 SF (229))

アンドロイドは電気羊の夢を見るか? (ハヤカワ文庫 SF (229))