如何ともしがたい何か

便所の壁に殴り書き

諦念とともに謹賀新年

 「遅いよ」という突っ込みについてはきちんと理由がある。年末の忙しい時期に身内で不幸があり、喪中ど真ん中という状況だったからだ。まだ、四十九日は終わっていないわけだが、まあもういうだろうということで、リアルな生活でも「あけおめ」を解禁している。

 年末のどたばたのさなか、田舎に帰郷するというできごともあったせいで、結局2009年の仕事納めがほんの先日という、なんだかよく分からない状態になってしまった。いやまあ、本当のことを言うと、仕事納めが越年するのは毎年のことなんだが。

 ほんのこの前、2000年に突入したかと思っていたが、あっという間に10年が経ってしまった。おっさんになると時間が経つのが早い。平成でいうと22年。平成生まれが普通に新入社員で入ってくる時代。ていうか、うちの会社、新入社員取れるの?

 ……09年はどんな年だったかと振り返ると、漠然としたことしか思い出せない。それだけいい加減に1年を過ごしてしまったのだと猛省する。たぶん、今年も同じように過ごしてしまうのだろう。毎年、新年を迎えるたびに「今年こそは」と思う。が、最終的には何もできずに1年を終えるという生活を、すでに10年以上続けている。「三つ子の魂百まで」とはよく言ったもので、いろんな意味でもう終わりということだ。事態は好転しない。いかに現状を維持するかという、諦めの心境で新年を迎えている。

 自分のいる業界も含めて、国内が不穏な感じに包まれた09年だった。政権交代の現場に立ち会った時も、期待よりかは不安の方が大きかった。別に民主党批判をするわけではないが。

 人間誰しも、変化への不安はあるとは思う。しかし、それを差し引いてみても、あらゆる社会状況が下降局面にある中、このような大きな変化を迎えるとなると平常心ではいられなかった。仕事柄、不安に直面するあらゆる人たちの声を聞く機会が比較的多いだけに、それは強く感じた。

 たまに「自分は保守的なのかな」と思う。保守的な土地、保守的な業種にいるからかもしれない。あらゆるところで変革が求められる時代で、保守的な思考はよくないのかもしれない。しかし、保守的でなければいられない。保守的な態度を強要されるような風潮があるような気もする。うまく表現できないが。言い換えると、変化への防衛、あるいは武装。変革が奨励されながら、世間の空気や経済状況はそれをためらわせる。周囲をよく見渡せば、変革を声高に叫ぶのは、その呪縛から離れている人ばかりではなかろうか。09年を個人的に一言で言い表すならば、「大いなる空回り」だったような気がする。政治も経済も。個々の歯車は回っている。しかし、かみ合っていない。そんな印象が強い。

 私生活も空回りだった。反省。いや、うまく回ってもいなかったかもしれない。猛省。かみ合わせる以前に、歯車を回すことに努力したい。そんな抱負。