何となく小物入れを開けてみたら、イヤホンがたくさん出てきた。現在使用しているものを除いても7本くらいあったかと思う。いろいろ悩んだが、1〜2本を残して廃棄することにした。
思えば、携帯音楽プレイヤーのほかに携帯電話、ICレコーダーに電子辞書。さまざまなモノにイヤホンが付属品として同梱されている。それだけに、気がつかないうちにいくら耳があっても足りないよ的な数のイヤホンが小物入れに眠る結果となってしまった。普段から必要のないモノを捨てる習慣があればいいのだが、油断するといつもこうなってしまう。
たまたまこんなエントリの中で、「1日1つ、モノをすてるべし」という記述を読んだ。以前からことあるごとに身辺で使わなくなったモノは捨てるようにしているのだが、1日1点というのは習慣化していきたい。
捨てることは気持ちの整理
そもそもモノを「捨てる」という行為は何なのかとぼんやり考えてみた。
(1)所有権の放棄
捨てるということで、そのモノに対する支配権がなくなる。それによってそのモノとの関係性が切れる。
(2)コスト垂れ流しへの始末
所有することで、物理的スペースや保管コストがかかる。その資源消費への決別。
(3)気持ちの整理
捨てることで、その所有しているモノを忘れる。
まとめてみると、モノとのつながりを絶つことによって、物理的・精神的余裕ができる。モノを置いていたスペースに別のモノを置くことができる。所有することによる気遣いをしなくて済む。逆に言えば、だらだらと捨てないで所有することで、物理的・精神的に負担となる可能性が大いにあるということだろう。
なんで捨てられないのか
では、なぜ捨てられないのか。
- 不要なのにある
「これ、要らんやん」というモノがなぜかある。これは所有するということの意味への無関心が根本にある。
- 未練がある
「要らないけど、なんか捨てられない」というモヤモヤした思い入れ。あるいは、不必要でありながら置いてあることに安心感があるモノ。
- 思い出がいっぱい
「古い〜アルバムの中にぃ〜」的なことはさておき、使っていないものの、何かしら思い出があるのでどうも捨てられない。
- 値段・レア
買ったときに高かった。あるいは入手するときに手間がかかった。必要はないものの、捨てるのは忍びない。
- 捨てるのめんどくさい
粗大ゴミや捨てるのにやや手間がかかる物品はどうしても「明日やればいいや」と思って明日やらない悪循環に入ってしまう。
いずれの理由も自分で考えておきながら、実に耳が痛い。
言い訳に反論してみる
これらそれぞれの理由に対して「問いかけ」をすることで、つもる不要品の山からの脱出をできないだろうか。
- 「不要なのにある」→問答無用!
- 「未練があるんだ…」→過去(と書いてうしろと読む)を振り返っちゃいけねえ。未来(と書いてまえと読む)を見て生きていかなきゃいけねえ
- 「思い出がいっぱい」→思い出はお前の心の中にな…
- 「高かったし…」→それを持っておくコストとその値段を比べてみな
- 「捨てるのめんどい」→一生捨てられないよ
とまあいろいろ書いてみたが、要は自分自身でモノに対する必要性の正しい評価をしていないことに問題がある。モノを手に取ってみて、まずはなぜそれを所有することに固執するかを熟考する必要がある。そして、それに対する反論を自分でぶつけてみることにより、手に取ったモノに対する正しい評価ができるのではなかろうか。
「そこに置かれている紙切れは必要?」から始めよう
モノを捨てることによって、気持ちの整理がつくことは前述の通り。物理的・精神的に余裕ができる。モノを捨てればスペースができてすっきりする。そして、大掃除や引っ越しの時に苦労しないかもしれない。
何より、モノに煩わされない姿勢をつくることができる。モノは使うものであり、使われてはならない。そのためにも、常に周辺のモノを評価するという習慣はきちんと維持したいところだ。
また、その習慣と評価の精度を上げるためには、やはり毎日この作業をしなければならないのではないか。
何かをメモっておいた紙切れ一つから始めてもいい。レシート一枚でもいいんじゃないか。人によってはでかい本棚かもしれない。まあ、気楽にやってみようではないか。