如何ともしがたい何か

便所の壁に殴り書き

速読の在り方を通して考える読書:「本の読み方 スロー・リーディングの実践」平野啓一郎

 とても面白かった。おすすめ。

 この本では、いわゆる速読に対し、あえてゆっくりした読書で本を血肉にしようという「スロー・リーディング」を提唱している。

 なぜ「スロー・リーディング」かという議論から入り、森鴎外高瀬舟」や三島由紀夫金閣寺」などの一節を教材に、文章と文章の間にある襞を探るような読書法を紹介している。作品鑑賞を前面にした立場での方法論について、そもそも読書とは何かということから考えはじめ、速読は効果がない読書法であると見なす。結論として、読書は読者の主体性を伸ばす手段であり、熟考しながら読むことは、本の冊数を多くこなすより極めて効果が高いとする。よって速読は身にならない。熟読することこそが読書であると結論付ける。

 まず、平野は読書に臨むにあたり、書き手の仕掛けや工夫を見落としてはならないとする。小説家らしい指摘だが、本に限らず文章の多くは本来、細かい点と線の集合体でもある。そんな構造を見落としたまま読み進めれば、たちまちその文章は頭に入らなくなる。それ故に、平野は速読という読み方に疑問を投げかける。この批判のくだりが面白い。

 一ヶ月に本を一〇〇冊読んだとか、一〇〇〇冊読んだとかいって自慢している人は、ラーメン屋の大食いチャレンジで、一五分間に五玉食べたなどと自慢しているのと何も変わらない。速読家の知識は、単なる脂肪である。それは何の役にも立たず、無駄に頭の回転を鈍くしているだけの贅肉である。(p.34-35)

 そのほか、いたる個所での速読法批判がなかなか愉快でにやりとさせられる。

 まず、平野は巷にあふれる速読本を、自己啓発本に過ぎないと断ずる。技術論ではなく、速読習得によってバラ色の未来がやってくる、というようなことの紹介に尽きているとする。

 また、無意識レベルで文字を読むという速読法について次の様に指摘する。

読者はそのとき、作者の言わんとするところを理解するのではなく、単に自分自身の心の中をそこに映し出しているに過ぎない。そうした読書の仕方では、多く本を読めば読むほど、自分の偏ったものの見方が反復され、視野が広がるどころか、ますます狭い考えへと偏っていくだろう。(p.42-43)

 速読本が指南する読み方は、自分の関心のあるキーワードを拾っていく読み方であり、「自分に対する「批判性」を失わせることになる(p.43)」とする。つまり、速読は自分の興味や深層心理に共鳴するキーワードを拾う作業なだけであって、極めて自己中心的な読み方だということだ。作者・著者と向き合い、自分の殻を破るという姿勢が無い読書法だとしているのだ。そして、読書を通した「着実な体験」による自己変革のためには、速読という手段ではなく、あえて速度にこだわらず、文中の微妙な差異にこだわる重要さを説く。

 あえて遅く読むことで作者・著者と向き合う読書法は、「異なる考えを持つ人と対話するための一種のシミュレーションともなる。(p.55)」と書いている点は重要だ。キーワードや自分の関心だけに力点を置き、ただ自己満足に浸る読書法は、相手(=作者・著者)の立場を考えない読み方になる危険性が高い。自己中心的な読書法は、リアルな対人関係でも相手の論を受け付けず、持論を展開するだけになってしまう危険性もあるのだ。本は単なる情報が集積されている物体ではない。読書という行為を通して、作者・著者と対話ができる。速読はその対話を拒む読書法だということだ。

 この本を読んでいて、少なからず頭の中をよぎったのは、少し前に読んだ某速読本だった。この本で紹介している読書法は、すごく平たく言うと、最初にぺらぺらと本を一読して、「自分が知りたいと思うキーワード」を抽出する。そして、そこから読書という作業を広げていくという方法だ。

 まず最初の「自分が知りたいこと思うこと」を考えてから読書に臨むというスタート地点からして、平野がいう読書法とはまったくもって反対方向を指していることが分かる。要するに、作者・著者とガチンコ討論をするのではなく、いいところだけを持って行くという「作業」に過ぎない。そもそも、想定外に自分を揺さぶるような出会いを読書の中で期待していない読書法だということが分かる。人間は読書を通して、変わっていかなければならない。それは、人間に直接会って変わるのと同じようにだ。

 いずれにせよ、本の読み方というテーマは深い。みんなが悩んでいろいろと試行錯誤をしなければならないテーマなのだろう。もちろん自分も含めてだ。これだけ世間に「速読」を扱った本が出回るということは、そんな不安の裏返しだということは確かだろう。あなたにとって、本って何ですか。何だろう。何なんだろう。

 速読をしたい、あるいは速読本を読んだけどなんだかなあという人に対して、一読をおすすめする本だ。本当に速読が必要なのかどうか、考えさせてくれる。(再掲)