如何ともしがたい何か

便所の壁に殴り書き

「当たり前」を学術的にたどる旅:ジャレド・ダイアモンド「銃・病原菌・鉄」

 同じ人間でありながら、生活や文化に差が生じるのはなぜか−。

 単純な疑問でありながら、明確な回答を求められると詰まってしまう疑問の一つであろうと思います。なぜ、同じ人間なのに、アフリカとユーラシアでは文明の発達に差が出たのか。人種の違いこそあれど、人種による知能の差がないのは明らかです。でも、現実問題として文明の差がある。なぜ?

 このような疑問に対して、考古学や文化人類学、生物学などさまざまな分野からの学術的論考で説明を試みているのがこの本です。

 実は結論自体は本の冒頭にあり、著者自身がこう述べています。

著者というものは、分厚い著書をたった一文で要約するように、ジャーナリストから求められる。本書についていえば、つぎのような要約となる――「歴史は、異なる人びとによって異なる経路をたどったが、それは、人びとのおかれた環境の差異によるものであって、人びとの生物学的な差異によるものではない」 (ハードカバー版上巻p.35)

 ハードカバー2冊の大著ですが、一つ一つ論考を重ねながら進む目的地は、この要約に述べられている主張の学術的裏付けです。長い旅のようにさまざまな分野へと飛ぶわけですが、一貫して目的地は定まっています。ブレがない。

 結論だけを読むと「なんだ、それだけか」と思ってしまうかもしれません。しかし、この当たり前のような結論が、今も昔も当たり前のように理解されていないのが人間の社会です。たとえば肌の色だけで人間の尊厳に格差がつけられる人種差別であったり、民族や信教、出自で不当な扱いを受ける差別であったりと、枚挙に暇がありません。当たり前のような結論でありますが、それが当たり前として受け入れられていない。

 著者の主張は一貫しています。人間は世界各地の異なる環境下で、異なる歴史を歩んできたことにより、身体的特徴や文化など多様化が進んでいった。そして、それは生物学的差異にあるのではなく、環境の差異でしかない。食物がたくさん取れる土地か、そうでない土地か。定住しやすい土地か、そうでない土地か。たまたま住んだ環境の違いでそれぞれ差異がでるのであって、生物学的には人間は平等だということです。環境による差異について、「ある人種は遺伝的に劣っている」などと生物学的差異に原因を求めるのは間違っているということを、著者はこの本で証明しているのです。

 ただ、この繰り返しの証明作業に「くどい」と感じてしまう人もいるかもしれません。実に内容が学術的なアプローチに徹しているため、とっつきにくさを感じさせる一面も否めません。

 いずれにせよ、人間には生物学的な優劣はないという、実に当たり前なことを学術的に証明するという道筋をたどることで、人間の社会や文明がいかに育っていったかをたどっていくことができる、非常に面白い本でした。

 まあ読む人を選ぶ本だと思うけどな。