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如何ともしがたい何か

便所の壁に殴り書き

体罰問題は難しい

 体罰は理屈抜きである一つの意思を押し通すための手段だと思っている。
 軍隊などは1人の油断で部隊全員が死んでしまうことがあるので、体罰の是非はともかくとして、そういう教育の仕方はありなんだろうと思う。
 しかし、小学校や中学校、高校でそういう教育をするのはどうなのか。
 体罰をふるった教師が、どうしても意思を通したいという考えがあったということだろう。それは部活の勝利であったり、生活指導の徹底であったりいろいろあるとは思うが。
 実際の教育現場で、暴力を振るってまで一つの意思を押し通さなければいけない現実について、いろいろと思いを巡らすが答えは見つからない。学校は集団生活の場であり、それは1つの社会でもある。その秩序を守るためには、ある一つの共通した意思を通さなければ集団生活が破綻するのもよく分かる。
 とはいえ、それを整理するためには体罰がなければいけないのかと考える。それこそ会社で働き始めればまた違った社会があり、体罰とまではいかないがいわゆる「社畜」的教育やパワハラがあったりする。
 社会を保つためには、暴力も含めた脅威がないといけないのだろうか。恐怖がなければ人間は社会を保つことができないのだろうか。何か答えはあると思うのだが難しい。そして、ただそのあたりを探っていかないといい方針は見つからないのではないだろうかとぼんやり思ってる。