如何ともしがたい何か

便所の壁に殴り書き

面倒くさがりは有利なはず

 長いことフローリングの部屋に住んでいたのだけれど、たまたまカーペットの部屋に引っ越すことになった。特にカーペットを希望したわけでなく、家賃など諸事情で残った物件がここだけだった。

 カーペットの部屋はいい。すぐにごろりと横になれる。そのまま寝ちゃう。きょうも一日中ごろごろしていた。気がついたら夜になっていた。

 さて、いろいろと住居選びにこだわる人が周りに多い。いちいち細かいところを挙げてちくちく文句を言いながらなかなか物件を決められない人もいる。

 自分は「住めば都」な人間なので、わりとすぐにそこの環境に馴染んでしまったりする。多少は交通や生活で不便なところであっても、何だかんだ最適化された生活スタイルを編み出してしまうようだ。

 最適化された生活スタイルと書くと、何やら器用な人間のように思われるかもしれないが違う。要は極度の面倒くさがりであるだけだ。面倒くさがりなだけに、最小限の手数で最低限の生活ができるように流れるように体ができているのだ。

 面倒くさがりなだけに、欲はそれほどない。多少は不便でもいい。それだけに生活の最適解を見つけて最小限の生活が成り立ってしまう。

 ただ面倒くさがりなだけに、生活の発展性はまったくない。現状維持への最適化だけだ。まあそれはそれでいいんだけど。