如何ともしがたい何か

便所の壁に殴り書き

ほかの人よりお金を稼ぐにはどうすればいいのかね問題

 お金を他の人より稼ぐための方法について論じる本やブログエントリが多い。そこに書かれているのはよくわからない自己流の精神論であったり、秒速でいくら稼ぐみたいなネット上の怪しい錬金術であったりと、一言でいえばどうでもいい内容ばかりという印象を受ける。

 もっと俯瞰して考えてみたい。

 中高生レベルの経済学の視点で見れば、答えは「いかに希少価値のある人材かどうか」という点にまとまる。希少価値の高い資源は高い値で取引される。こう書くとわかりにくいかもしれないがよくよく考えてみればこれほどわかりやすいことはない。

 人間だって同じだ。希少価値の高い人材には高値の報酬や成果が付く。自明のことだ。人間だって大きな経済の系で見ればただの部品にすぎない。置き換えができる人材がほかにたくさんいるならば安値しかつかない。部品を入れ替えるなら生産性が高かったりと経済的価値がある部品を入れたいに決まっている。

 ただここで生産性が高いなどの価値ある人材にきちんとそれなりの報酬が払われなければ、その人材はその系を抜けてしまう。ここは意思がある人間であるが故。この系の中にいることに意図してか意図せずかはともかく固執してしまう人は「社畜」とか言われてしまう。それなりに価値が高い人には相応の報酬が払われなければ、その部品はいなくなってしまう。これは会社などの組織に所属する形であろうがなかろうが共通しているだろう。

 話を最初に戻して、ではわれわれはどうすればいいのかを考えなければならない。

 いかに希少価値のある人材になるかというのは言うまでもない。他者よりも特筆した才能や能力を持っていると希少価値が高まるのは当然のことだろう。

 ではそれは資格を取ったり語学を学んだりすることだろうか。確かにそれもあるだろうが、実際問題として誰もが考えることでもある。もちろん、それをきちんと形になるように最後まで成し遂げることができる人は少ないかもしれないが。

 置き換えが効かない人材になれば、ほかの人とは違ったある程度の報酬を手にすることができる。それは希少価値があるかないかというのは述べたとおり。自分でしかできないことはなにか。ここを見つけ出すというところからスタートしたいところだ。安易に方法論に走らず、自分でしかできないことを泥臭く模索するしかない。

 また、希少価値とは時代によってめまぐるしく変化していく。そんな流れに柔軟に対応できるように、アンテナの感度は常に高めておきたいところだ。