如何ともしがたい何か

便所の壁に殴り書き

「ご冥福をお祈りします」で判断する情報番組の第三者視点指標

 タイトルが分かりづらいかもだが、要はどれだけ主観のない報道をしているかを見る目安。

 有名な芸能人といった著名人が亡くなると、当然ながらニュースや情報番組、ワイドショーで放送される。で、そのニュース項目の終わりに司会者が「ご冥福をお祈りします」と言うかどうかを見る。

 「ご冥福をお祈りします」コメントを入れるということはどういうことか。

 「ご冥福」を「お祈り」しているという時点で、番組出演者の気持ちが表明されている。つまり主観的ということ。主観的ということは、放送されている内容に出演者や制作サイドの主観や意思、思想的な何か、あるいは主張が入りますよということを公言している、と見る。ワイドショーはこういうのは多い。司会者が訃報ニュースのあとに神妙な顔で「ご冥福をお祈りします」と言う。まあワイドショーはこれでいい。

 一方、硬派なニュース番組は訃報のニュースを淡々と伝えるだけで、キャスターやアナウンサーが「ご冥福をお祈りします」と言うことはない。NHKのニュースはその最たるもの。キャスターやアナウンサーの思いが入ることはない。

 ただNHKでいうと「ニュースWatch9」は例外的なんだろうけど、いちいちキャスターの主張が入る。そういう番組なんだからいいのだろうけど、主観を入れるワイドショーなのか、入れないニュース番組なのか、境目が分からなくなりかえってどこまで放送されるニュースが「操作」「編集」された内容なのかが分からなくなる。それが行き過ぎて訳が分からなくなっている代表例が「報道ステーション」だろう。ワイドショーをやりたいのか報道をやりたいのか分からなくなっている。

 「ご冥福」コメントを入れるかいれないか。ささいなことだがテレビ番組の姿勢が分かる。