如何ともしがたい何か

便所の壁に殴り書き

「負け組ノマド」の怨嗟の声をいざ待たん

 すっかり「ノマド」という単語を聞かなくなった。一時はネット上のあちこちでこんな単語が踊っていたものだったが。

 「ノマドワーキング」というスタイルを初期に言い出したのは確か佐々木俊尚氏であったと思う。「仕事するのにオフィスはいらない ノマドワーキングのすすめ」(光文社新書)で、ネットサービスを駆使した新しい労働スタイルを提唱していた。

 その後、安藤美冬氏が自由な労働スタイルとして「ノマド」という言葉を駆使してさまざまな活動をしていた。

 さて…

 この人たちはもう「ノマド商法」で十分にお金を儲けることができたのだろうか。アジるだけアジって、今はどうしているのだろうか。

 ここで注意するべきは、すっかり「ノマドワーキング」という言葉だけが一人歩きしてしまい、佐々木氏あたりが言っていた本来の用法ではなくなってしまった点だ。言うならば「新しい労働スタイル」ではなく、定時出社でサービス残業というような従来の労働スタイルへのアンチテーゼでしか消費されなかった。ネットサービスを使った効率化という面ではなく、スタバでMacBookAir開いてフェイスブックをやるという、くだらない流行でしかなかった。

 さて、そろそろ騙された人たちの怨嗟の声が表立ってくるのではないだろうか。

 中には「ノマドワーキング」という流行に流されて、それこそ会社を辞めて「自由な働き方」を探す旅に出てしまった人もいるのではないだろうか。

 ネットを眺めていれば、成功事例はたくさんでてくる。そりゃそうだ。成功していれば自慢もしたいしおすすめもしたい。われわれが目にするのは成功事例だけだ。

 では失敗事例はどうか。そろそろでてくるのではないかと見ている。

 そもそもこういった働き方はまだまだ日本では特殊と言っていいだろう。成功する確率はまだまだ低い。あまりにもリスクが高い働き方といえる。

 そんな中、このような働き方を提唱する人はそろって成功した人にすぎない。1人の成功者の裏には無数の敗者がいるのはどんな分野・世界でも共通だ。自分の成功事例が絶対ではない。しかし、「ノマドワーキング」を提唱したような人たちは、そのようなことを分かっていないのか目をつむっているのか知らないが、意識が低すぎる。お前らの存在はレアなのだ、と。

 流行りの「脱社畜」の言説も同様といえる。「脱社畜」を言う人たちは、たまたま脱・社畜に成功した人たちであり、同じ行動を薦めたところで同じような成功を得ることができる保障はない。「起業」なんて最たるものだ。

 このような人たちは、自分たちの主張の重みと責任についてどう考えているのだろうか。