如何ともしがたい何か

便所の壁に殴り書き

情報や知識の少なさが無知なのではないという話

 すっかり情報に疎くなっている。過失で疎くなっているわけではなく、無意識のうちに遠ざかっているような感じだ。

 かつてはlivedoor readerあたりを使ってたくさんのブログやニュースサイトをチェック。さらにはポータルサイトを駆使してさまざまなニュースに目を通していたものだった。新聞もいくつか読んでいたし、ビジネス系の雑誌で面白そうな号があれば買い求めていたものだった。

 しかし、今では新聞を1紙、コンビニで買うくらいだ。一度も外出をしない日は読まない。readerも記事がたまりにたまっているまま放置しているし、ヤフートピックスなんてのも見ていない。それどころかヤフーをみなくなっている。いつのまにかトップページが衣替えしていた。ニュースサイトだって見ないし、2ちゃんねるまとめもめんどくさくて読まない。雑誌なんて佐村河内氏事件が発覚した週刊文春を買ったくらいだ。ブログも読まなくなった。たまにはてなブログのトップページで面白そうな見出しの記事を踏むが、だいたいは期待はずれだったりする。

 新聞だけで用が足りている。だから新聞がいいというつもりはないが、今の自分にとってはそれで十分だということだ。

 ネットで情報を集めて「真実」を知るべきという人がいる。実際にそれで「真実」に目覚めた人が多いようだ。しかし、今のぼくは「真実」なんてどうでもよくて、ただ日本や世界で「だいたい」どんなことが起きているのかが分かれば十分だ。十分すぎる。

 前も書いたことがあるかもしれないが、情報のオーバードーズは情報をまったく知らないよりも危険だ。情報を受容する能力が無ければ薬物中毒状態になってしまう。混乱する精神を安心させるためだけに情報を摂取して、ただ精神を安定させるだけ。それはさみしい。

 人は高みにいこうとしてたくさんの情報を仕入れようとする。しかし、人間には「身の丈」というものがある。それを超えていこうとするとオーバードーズになってしまうのではないだろうか。情報や知識の少なさが無知なのではなくて、適度の情報や知識を判別して咀嚼する能力がないことこそが無知なのだと思う。

 ぼくは新聞だけでいい。たまにネットをうろうろする。たまに酒場で深酒するようなもんだ。精神衛生上よい。そしてそれで十分だ。それをいかに生かすかに力を入れればいい。誰もが多くの情報を駆使するトップランナーになる必要もない。何事も程度が大切だ。

情報って何だろう (岩波ジュニア新書)

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