如何ともしがたい何か

便所の壁に殴り書き

アルファでノマドな人たちの集金段階が終盤を迎えているようです

 アルファだなんだと騒がれていたブログがいくつかあるけれど、最近ヲチしているとどうも手を抜いているように思える。

 ブログだけで注目をされていた段階では、頻繁な更新頻度であったものの最近はそれがぽつりぽつりと穴が空くように間隔があく。さらには内容もどうみても手抜きで書いているなというのが分かる中身の無さ。もっとも元からあったかどうかはまた別の議論。

 中には更新が止まっていたり、自分が関係しているどうでもいいセミナーの告知しか書かなかったり、明らかに劣化したものも見受けられる。

 時に煽りや釣りでアクセスを稼いでいたようなブログも、すっかり最近は内容がゆるい。煽り要素もただ敵を作ってわめいているだけの見苦しい内容で見るに堪えない。そもそもその程度の力しかなかったということなのだろう。

 だいたいこのように失速気味というか手抜きをしているアルファブロガーとやらは、ブログをきっかけに本を出版したりメルマガを出したり、何かリアルでの新しい活動を始めている。その後、手抜きブログエントリを量産している。

 つまり、もうブログで頑張らなくても食っていけるようになったというわけだ。

 さんざんこれまでの旧来のシステムを批判するような、革新的な内容のブログで注目を集めていたものの、結局は出版であったりと従来のつながりでお金をいただけるような流れ。ブログはその手段でしかなかったわけだ。結局は何も釈明も責任を取るということもなく、そっちへ流れて悦に入ってる。

 そっちの方がお金になるもんね。

 一番笑ったのはこれだ。

 さんざん「ノマド」「ノマド」と騒いでいた安藤女史が、ノマドではなくなっていたという話だ。

 本当に他人にもノマドとかいう生き方をすすめてきたのならば、常勤の専任講師になんて普通に感覚なら就任しないだろう。また、ここにきて常勤の立場になることに若干でも後ろめたさがあるのならば、なにか釈明やらなんやらがあってもいいと思うが。

 そもそも、このノマドとやらについては「ノマド商法」ともいうべき怪しい輩が女史の周囲に集まって、虚構のブームであったことは否めない。

 結局は全部、幻想でしかなかったのだ。

 こうやって自分の言説に責任をとらず、だまされたと思ったり幻滅したりするような人が増えると、長期的に見るならば、世の中ぎすぎすすることにつながると思うのだ。

 アルファな人たちにしてもノマドな人たちにしても、お金だけ稼いで逃げるのはよくない。責任を取れとまでは言わないが、ちゃんと言い訳くらいはしてほしいよね。