如何ともしがたい何か

便所の壁に殴り書き

ニュースとかどうでもよくなってきている

 ニュースにすっかりうとくなった。

 うとくなったというより、本当に自分にとって必要なニュースしか読んだり観たりしないようになってきた。主に政治や経済で〝いまだいたいどうなっているのか〟をつかめれば十分という感じだ。ポータルのニュース欄を見れば用が足りる。

 芸能ニュースはまったく読まなくなった。もともとそんなに興味はなかったし、芸能人の動向を気にするほどヒマでもない。そもそも芸能人が生きる世界とはまったく別次元の定収入な現実に生きているので、かえって鬱陶しい。スポーツも興味がなくなった。どの競技でどのチームが勝とうと自分の生活は変わらない。選手の動向もどうでもいい。

 以前は新聞をきちんとチェックしていたものの、いまでは流し読み程度だし、まったく読まない日も出てきた。新聞の購読者がPCやスマートフォンに奪われているってよく言われる。しかし、自分がそんなニュースにうとくなる境遇に入ってみると、また別の理由があるのだろうなと感じる。そもそも、ニュースはそれほど求められていないのではないか。たくさんのニュースを見なくても生きていけるし、それほどたくさんのニュースを常に摂取するほどヒマではない、日々の生活に必死な人たちが多いのだろうな、と。

 せいぜい、娯楽としてしかニュースは使われていないのだろう。たぶん、ニュースは生きていくための重要な判断材料ではなく、最近ではシェアして楽しむためだけの消費財になりつつあるのかもしれない。ニュースをネタにわいわいと楽しむ。もちろん、むかしからそうだったかもしれない。しかし、みんながPCやスマートフォンでSNSを楽しむようになって、一層それに拍車がかかっているのだと感じる。

 別にそれがいいことなのか悪いことなのかはわからない。