如何ともしがたい何か

便所の壁に殴り書き

言論の自由をつぶすのは無名の市民だという話

 言論の自由とか自由闊達にものを言える環境を脅かすのって、時の権力ではなくてむしろ無数の無名の市民だと思うわけですよ。無名の市民たちがものを言えない社会の雰囲気をつくってしまうと。そのへんは現代史をちょっとかじれば、洋の東西を問わずあると思うんですよ。

 特にいまは誰でもネットでものを言える。まあそれはいいとしてだ、右で何か言えば左からイナゴがわーっときて攻撃をしていく。左で何か言えば右からイナゴがきてわーっと焦土にしていく。上で何か言えば、下から無数の手が引きずり下ろそうとする。下で何か言えば上から足がたくさん出てきて踏みつぶす。どれも権力ではない。無名の「市民」のみなさんだ。

 自分と意見が違えば対話をするのが知性のある人間のやること。対話には相手を尊重する必要がある。いまはそんなのないね。反対派よってたかってつぶすだけ。

 そんな空気の中で、自由にものが言えると思う?

 言論の自由は法律的につぶされるのではなくて、世間の空気につぶされる。そんな空気をつくるのは、きちんとした知的基礎もなく、ただ気分だけで考えを決めてしまうような立派な「市民」のみなさんということだ。

 日本の将来は実に明るいですな。焦土に立ち上がる炎で実に明るい。わはは。