如何ともしがたい何か

便所の壁に殴り書き

トランプ当選という結果を外したのは現場を踏んだかどうかなんだろうなぁ

 そういえば、アメリカの大統領選挙でトランプ候補が当選したとき、多くのマスメディアや専門家、知識人が〝読み〟を外していたのが印象的だった。

 これはアメリカでも日本でも一緒なのだが、割とこれまで実績あるような人たちが読みを外して、それに対して自分自身が信じられrないという、まさに茫然自失になっていたと思う。

 その中でもトランプ候補当選を予想していたり、その可能性の高さを指摘していた人も当然いるのだが、その違いって何だろうと。

 それはやっぱり現場感覚なのかなあと。トランプ候補当選の可能性を指摘していたのは、アメリカ国内、特に共和党が強い地域であったり、表層的でない市井、町中の人々の間に漂う空気をきちんと吸ってきた人なんじゃないか。

 要するに〝現場〟をきちんと踏んで、きちんと現地の人と会話をしてきたか。そこなんじゃないだろうか。

 表向きの数字をいじってみたり、現地報道だけをなぞるような分析をしたり、表層だけをなぞるだけでは分からない。選挙なんてどこでもそんなものだろう。現場に行かないと分からない。

 それができていたか、できていなかったか。それが明暗の差だったんじゃないだろうか。