如何ともしがたい何か

便所の壁に殴り書き

短くて分かりやすい文章が求められる社会って危ないと思うよ、という話

 長い文章があまり読まれない社会になってきているらしい。文章も分かりやすさが求められているらしい。

 そもそも長い文章を読めない人というのは、いつの世もある一定数は存在していたはずなのだが、スマホでいろいろといじって文章に触れる趨勢の中、それこそツイッターの1回分ツイート程度でしか読者に響かないというのはあるのだろう。それもそうだ。ネットが無駄にすみずみまで普及して、1人あたりの接する文字情報がとてつもなく多くなっている。そりゃあ、短い文章の方がいいという理屈もあるだろう。

 とはいえ、超絶技巧がなければ、短い文章で伝えられる情報量はどうしても少なくなる。それに、短い文章で物事を伝えるにはわかりやすさが求められる。安直な短文化やわかりやすさの追求は果たしていいことなのだろうか。

 分かりやすい文章になれると、分かりやすい文章しか求めなくなる。短い文章で情報摂取を済ませる癖がつくと、長い文章での情報摂取ができなくなる。読解力の低下につながると思う。

 短く分かりやすい文章は、頭の中の思考回路の短絡化にもつながるのではないかと感じている。短くなければ読まない。分かりやすくなければ理解しようとしない。いずれも「努力しない」。

 そういう人が増えれば、価値判断基準がどんどんと下がっていく。短くて分かりやすいフレーズで人々が動くようになる。そして、短くて分かりやすいフレーズに人々を動かそうとする奴らが出てくる。単純化の波は、世間の情報弾力性を過敏にさせてしまうのではないか。

 物事はすべて、単純ではないはずだ。単純な物事こそ複雑な要素から表出した一片に過ぎない。短くて分かりやすい文章は、ともするとそこを感じる力を劣化させる。

 ある種の権力にとっては、理想的な流れなのかもしれないが。

博報堂スピーチライターが教える 短くても伝わる文章のコツ

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