陰謀論はやめておけ
陰謀論にありがちな問題は、世界すら変革しうるほどの陰謀を巡らせる極めて高度な能力と、専門教育も特に受けてないような民間人にそのシッポを掴まれる間抜けさが共存していなければ成立しないことですね。
— PKAさん (@PKAnzug) 2013年2月5日
東日本大震災以降、ネット上で特にひどくなってきた陰謀論の横行だが、暴走ぶりが目に余るように感じてきていた。
自分は残念ながら陰謀論はほとんどないと考えている。あるにはあるだろうが、そんな陰謀は我々のような市井の一市民が関知するような形で出てくることはないだろう。たとえネットで「真実」とやらを手に入れることができるようになった今でもだ。
陰謀論の横行は実にシンプルな構造だと思う。上に紹介したツイートにあるように、ただの民間人が陰謀論があると思い込んでそれを無節操にツイッターやフェイスブックなどで有ること無いことを流し続けたため、結果的にできあがってしまった陰謀論のような蜃気楼にすぎない。その蜃気楼を、不勉強な人がまたホンモノだと思い込んでしまい、どんどんと「陰謀論っぽいもの」が拡散していく。
上のツイートはよく読むとそのあたりの警句が読み取れる。つまり、陰謀論なんてないということをわざと回りくどく説明しているのだ。
くどいようだが、東日本大震災以降は特に陰謀論が横行してきた。その背景には何があるのだろうか。あまりにも被害が大きすぎた地震と津波の被害。そして、目に見えない放射性物質の拡散という悲劇。それによるいわば「見えない恐怖」が精神的な不安感を極度に増幅させ、何か自分自身の中で精神を落ち着かせるための根拠が求められたのだろう。見えない恐怖による精神破綻を防ぐため、生物学的な本能の動きとしてそのような根拠が必要になったのだろう。
放射能に関する知識はそもそも難しいし、勉強するには時間がかかる。地震もそうだし、津波もそうだ。根源的な知識取得には何だって時間がかかる。そこで人は簡単な理屈を求める。何しろ襲い来る「見えない恐怖」に立ち向かうには時間がない。
そんな中、手軽に自分の論理的支柱にできたのが陰謀論だったのではないだろうか。とりあえず誰かしらが裏で何かを画策し、無垢な自分たちを籠絡しているという手軽な善悪の筋書きが実に分かりやすい。何より、乗っかりやすい。
陰謀論は大いなる思考停止だと思っている。陰謀論に責任を押しつけることで、自分で考えなくて済んでしまう。それは本当の事実を見逃す可能性が高い。だからこそ、陰謀論は信じたくてもあえて疑い、まずは避けて通るべきことであると思っている。