如何ともしがたい何か

便所の壁に殴り書き

「悪人」なら仕事ができると勘違いする人がいるんじゃないかという

 いわゆる「ビジネス本」のたぐいを読んでいてよくでてきて気になるのが「会社の中では”いい人”でいるな」という言説だ。

 これはどういうことかというと、日本型経営の環境では仕事の成果が残せていないことをフォローするために「いい人」を演じがちな人材が多いという問題からくる指摘だ。確かにそういう側面は大いにあるし、「いい人」であれば成果が残せていなくても批判はされないという日本型の会社にありがちなぬるい環境の象徴かもしれない。

 気を付けないといけないのは、成果が残せない現状を「いい人」であることを演じて逃げるなというメッセージだということ。「いい人」ではなく、仕事においてはドライに「悪い人」であるくらいがちょうどいいという。

 ただ困るというか、問題だなあと思うのは、そういう言説を曲解する人がいるんじゃないかということだ。つまり「悪い人」を演じるだけで、自分は仕事ができていると勘違いする輩がいるのではないかと。

 くどいようだが、この言説の本質は「いい人」であるということに逃げてはいけないということであって、「悪い人」でいろというわけではない。成果が残せず「いい人」である可能性はあるが、「悪い人」であれば成果が残せるという構図はまったくもって成り立たない。

 こういう勘違いをして、部下や同僚にきつくあたる人は多いんじゃないかと思う。というか、経験上多いはず。ていうか、そんな人しか見たことない。

 そのあたりの読み方を誤ると、「いい人」だろうが「悪い人」だろうが仕事はできない。結局、組織内でのキャラ付けに逃げるという意味では一緒ということだろう。