如何ともしがたい何か

便所の壁に殴り書き

凡人は死するのみ

 「継続は力なり」という。確かにそうだと思う。そして、世間を見ていて何か天才的な「才能」がる人というのは、この継続ができる人材であると思う。

 何事においても、継続できる能力、そして環境があるかでその人の人生が決まる。天才であるかどうかはわりと二次的なことであり、すべては継続ができるか否かにかかっているのではないだろうか。

 自分は何事も続かない人間だ。すべてが中途半端であり、何事もうまくいった試しがない。このまま年老いて朽ち果てていく。この諦念を前に「生きること」そのものの継続すら危うい。危ういというか、「生きること」という継続への執着も薄れて生きている。かといって死にたいかといえば別にそんなこともない。

 継続は才能だ。いくらライフハック系のブログをブックマーキングしたところでそれは自己満足でしかない。まあ、そういうブログのエントリーばかりをブックマーキングして、実際は実行しないで悦に入っているという継続ができている時点ではまだましな人は多いのかな。

 では継続をさせるためにはどうすればいいのか。よく言われるのは「習慣化」だ。だがこれがなかなか難しい。

 この「習慣化」を妨げるのは緊張感の無さだ。「これを毎日やらなければ死ぬ」ぐらいの緊張感があれば嫌でも続くだろう。

 また楽しさも習慣化への一要素となりえるだろう。趣味の分野がこれにあたるだろう。あとは中毒的な何か。よく言われるのはパチンコなどのギャンブルだろう。こちらはもうやっちゃダメだという段階になっても続いてしまう。

 となれば、こういう人間の中毒性を何かうまい形にもっていけないかと考える。

 日々の生活の中で何か中毒的なものを感じるゲーム性を取り入れることはできないだろうか。パチンコなどのギャンブルのようにおカネはかからないけれども、何か得点のような要素を日々の生活に取り入れられればいいのだが。

 仕事は報酬を得られるという意味ではこの手段に使えそうだが、いかんせん日本の労働環境はクソすぎる。いくら働いたところで搾取されるだけで報酬は上がらない職場の方が大半だ。「サービス残業」などという言葉が横行している時点で終わっている。ほかに考えなければいけない。

 もしかしたらそういう手段に、例えばこういったブログのようなネット上での活動を生かしている人は多いのかもしれない。しかし、こちらももはや浸透し過ぎて例えばマネタイズまでもっていけるのは一部の狡猾な人かもともと才能があった人でしかない。

 では凡人たる我々はどうすればいいのか。

 結論としてすべてあきらめて朽ち果てるしかない。