如何ともしがたい何か

便所の壁に殴り書き

「幸運」は準備できるとかそういう

 よく「チャンスを手にする」って言うけど、それはどういうことなのかなと。運が良い、悪いがあるのか。そんな不確実性が高いようなことなのか。

 多分、そこにそれほど不確実な要素はない。要はこちら側にたまたま回ってきた機会を受け入れるだけの準備ができていたかという点につきるんじゃないか。機会を受け入れるということだけでない。機会そのものを目の前に招き入れる。それもこちら側の準備ができているかどうかで左右されるのではないか。普段からアンテナを張っているかどうか。そんなイメージ。

 世間でたまに見る「まれに見るようなチャンスを手にした人」というのは、こういった様々な方面からの準備ができていて、必然的にその「まれに見るようなチャンスを手にした」に過ぎないのではないか。それが「チャンスを手にする」ということなのでは。

 そこに不確実性、つまり「運」の要素は本当に少ない。運に身を任せるくらいなら、今自分でできる「準備」を可能な限りたくさん考えて、それをそつなく整えていくということに注力すべきなのだ。

 準備・用意をしてない人にはそういう機会がないという現実はきちんと覚えておこう。