如何ともしがたい何か

便所の壁に殴り書き

「マスコミはオワコン」だなんて軽々しく発しちゃだめだよ、という話

 ネットの発達で「新聞やテレビはオワコン」などと書いて悦に入ってる輩が実に多い。すべてが分かった気になって上から目線で書いている連中なわけだが、まあそういう言説はスルーしておくべきだろう。

 ネットニュースで十分だという。ネット上で読むことができる政治・経済・社会のニュースを書いているのは諸君らが毛嫌いしている新聞やテレビの記者たちであることはまずお忘れ無きよう。もちろんネットだけの媒体もあるが、まだまだ既存メディアの記事が多くを占める現状は認めざるをえないところだろう。

 ニュースはNHKのウェブニュースで十分だって? お前、受信料払ってる? 報道内容が気にくわないとか、うちにテレビないからとか難癖つけて払ってないんじゃない? いま諸君が見ているNHKのニュースをつくっている記者やカメラマンの給料は誰が払っているのか。けなげに受信料を払っている人たちだ。その人たちのカネで諸君はのうのうとニュースのおこぼれをもらっているということに気が付くように。そう、諸君は乞食でしかないのだ。

 ヤフーなどポータルのニュースだって、ポータル運営がきちんと素材提供社にお金は払っているのだ。そういったコストの流れを考えないでオワコンだ何だと言っている諸君の論理回路は実におめでたい。

 あらゆる物事は複雑だ。全ては理解できないかもしれない。それでも少しでも物事の仕組みを理解しようという姿勢は忘れてはいけない。その姿勢があれば軽々しくオワコンなんて単語を発することはないのではなかろうか。

オワ婚

オワ婚

忖度ばかりの組織で働いている

 個人的な話だが、自分の働いている会社が忖度ばかりの組織で困っている。「忖度」といえば一時は流行語みたいな扱いをされ、方々で批判をされたものだ。が、自分が置かれている忖度ワンダーランドで生きていると、裏側や現場の人々の思いが手に取るように分かる。そして、つらい。

 忖度の根源にある有力者の言動なんて実はどうでもいい。きっとその有力者だったら「こう言うだろう」みたいなものを周辺が勝手に考えて、それにそって全てが決まっていく。すべてが内部の空気でつくられた想像の産物でしかない。それですべてが動いていく。合理性のない虚像だけで組織が動いていくという流れの中にいるこの違和感。うまく表現できないが、日本という国にいながら、何か別の国にいるかのような感覚。ニュースやらで見聞きする世間の姿とはほど遠い、前近代的な空気が漂う空間で過ごしていると、やはり白昼夢のように何か別世界にいるかのような気がしてならない。

 忖度するという行為が不必要とは言わないが、毎日毎日どこにでもこういう空気が漂う組織が、果たしてこれから生き残れるのだろうかといつも考えている。すさまじいスピードで社会が変わりゆくなかで、業界を問わず内部の空気で行き先を決めるような組織が生き残れるのだろうか。そもそも、そんな組織が今の社会に受け入れられるのだろうか。

 結論を言えば、近い将来無くなってしまう会社なのだろう。少なくとも、今から気が付いて方向転換をしたとしてももう間に合わないはずなのだ。まあまあ何と言うか、再就職の準備くらいはしておかなければいけないのだろうなと思う毎日である。

やっぱり器用は損だよな、という話

 最近、仕事場での仕事を器用にこなすことが得策ではないと感じるようになった。というのも、各方面から降りかかってくる仕事をこなしていると、「あいつはできるやつ」みたいな感じで無茶ぶりがどんどんと増えてくることが分かったからだ。

 どこで誰か言い出したのか知らないが、「仕事は忙しいやつにまかせろ」という言説がある。これを額面通りで受け取って、忙しいやつにどんどんと仕事を任せるバカが量産されているのだろうが、いかにもバカの所業。まあまあバカとまでは言わないが、本来ならば効率的な仕事の分配が組織全体を効率的に動かすことになるのだろうが、変な言説のせいでいびつになっている。行き着く先は、仕事ができる人の過労死であることは言うまでもない。

 効率的な仕事の配分ができなければ、その組織は壊死する。それは、仕事ができる人が過労死する、あるいはあきれて新天地を求めて退職するという事象で表面化する。そして、そこまでは仕事ができない人に仕事が降りかかる。あとは最初に戻る負のサイクルというわけだ。

 まったく、管理職というのはいったい何を管理しているのだろうか。

過労死落語を知ってますか

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