如何ともしがたい何か

便所の壁に殴り書き

お前ら五輪の選手に期待しすぎ

 ソチ五輪の話題が飛び交う。スノボで銀と銅のメダルを獲得し、にわかに沸き立っている。

 さてその中で選手の振る舞いや思うように出なかった成績を前に「税金泥棒」と批判する人が、相も変わらずいるということが面白い。

 このような人たちにとって、五輪は国威発揚でしかないという視点があるのだろう。世界各国の選手が集まる五輪という場を、いかに日本という国の存在感をアピールするかという舞台と捉えている。その手段として選手たちに税金が投入されているという考え方だ。ある意味では合っているし、ある意味では錯誤だと思うのだが、いずれにせよ「税金の無駄遣い」という言い方でしか批判できないのは錯誤しているとしか言いようがない。

 また、応援をしていたのにもかかわらず思うような成績を見せてくれなかったことにたいして、そんな自分を慰めるゆがんだ形での批判という側面もあるかもしれない。これだけおれが応援したのに、選手たちは思うような成績を出していない。けしからん。という論理の流れだ。

 このあたりでは、五輪がすっかりエンターテインメントとして演出されているところに原因があるのかもしれない。「感動をありがとう」を期待しているのにもかかわらず、感動させてくれなかったので税金泥棒である、という理屈。スポーツ観戦に感動があるのは確か。しかし、それは向こうがおあつらえにこちらへと提供してくれるものではない。

 国威発揚も感動を与えてくれることへの欲求も、どちらも過度になると危険だ。