如何ともしがたい何か

便所の壁に殴り書き

自転車乗りながらスマホいじる阿呆が阿呆である理由と危険性

 自転車に乗りながらスマホをいじる阿呆が本当に多くてこの世の中がいやになる。

 おれがそういうスマホいじりながら自転車運転をしないというのは、ただ単にそこまで器用でないというのもあるのだが、そもそもそこまでしてスマホをいじりたいとも思わないというのが大きい。

 というか、スマホではないのだが、傘をさしながら自転車運転してて、転倒して傘を持っていたせいで顔面から地面に落ちて顔を半分つぶしてしまった人の話を聞いたことがあるので、自転車ほど気楽な乗り物でありながら危険な乗り物はないと思っているというのは大きい。まだ車の方が自損であればましなのだ。

 スマホをいじりながら自転車乗る阿呆が阿呆であるゆえんは、禁止されていることをやっているという次元ではなく、ながら運転という自分の行為のリスクを正しく考えることができないことが阿呆だということなのだ。転倒して自分の顔をつぶすリスクより、スマホをいじるメリットの方を取るという浅はかさが阿呆なのだ。

 どうせ自転車乗りながらスマホいじるやつが、スマホでろくなことやっているわけがない。100%ありえない。どうせLINEでくだらないやりとりをしているか、くだらないゲームをやっているに決まっている。

 事故リスクを上回る重要性のあるスマホの使い方してる人は、そもそも自転車なんか乗らない。自転車乗りながらスマホいじってるやつは100%阿呆であり、自分は阿呆ですよとアピールしてるってことを感じるべきだと言おうと思っているが、そもそもそんな阿呆にそんな理屈が通じるわけがないし、だからこそ阿呆なのであり、自損事故でも起こして身をもって自分の阿呆さを痛感してもらうしか治る道はないのだろう。

おっさん作の「新社会人の君たちへ」警報発令中

 もうすぐ4月1日。新しい年度が始まる。特に新社会人として新しい世界へと歩き始める学生諸君は、希望と不安が入り組む複雑な心境にあることであろう。

 そんな君たちに対して、巷のおっさんたちは現実社会だけでなくネットでもお説教を始めるのだ。だいたいこの季節になると、SNSやブログで「新社会人の君たちへ」的な題名を付けて、酒場でやれよとしか言いようがない説教をオブラードに包んだ形でまとめた記事を書いてぶつけてくるおっさんが散見される。リクルートスーツで出社する姿を見るとどうのこうのという書き出しで始まるアレだ。いかにも自分は新社会人の若者たちへの理解が深いふり、いかにも応援をしているみたいなふりをして、もっともらしい記事を書いて悦に入っている姿を見ると頭痛がしてくる。才能も思慮もないくせに、伊集院静気取りもたいがいにしろと。

 若い新社会人諸君はぜひ、こういうおっさんたちの記事を無視してほしい。ネットの世界でまで、何の取り柄もないおっさんたちの相手をする必要はないし、調子に乗せるとろくなこともない。どうせこういう記事に「いいね」つけたりブックマークしたりするのは、同類のおっさんたちだ。同類で集まって自慰にふけっているだけなのだ。ぜひ無視してほしい。かわいそうな人種なのだ。そっとしておいてあげよう。

 だいたいだ、こういうたぐいの記事は、ただただ君たちよりも上位に立ちたいという醜い感情の亜種だと思ってかまわない。自分たちは経験豊富だからそこからアドバイスしてるんだよという善意に見えるが、その根底にあるのはただの説教根性でしかない。そもそもそんな記事を書こうとおもうこと自体が相当イタい。お前は何様なんだよと思わないか? こういう記事を書いて悦には入ることでしか自信の存在価値が見つからないのだ。そっとしておいてあげようではないか。

 内容も内容で、酒場の説教でしかないようなものばかりだ。どうせそんな奴らの経験なんて、会社の中だけの小さい世界で完結しているちっぽけなものだ。しかし、彼らはそのちっぽけな世界観を披瀝することで悦に入ってるのだ。残念でしかたない。そんな記事を読む時間があれば、古典と言われるような本を読んだり、映画を観たりしたほうがよっぽど人生の糧になるというものだ。

過激なことでしか勝負できないバカと普通なことでも勝負できる人の違い

 なんか渋谷で自称ユーチューバー(笑)が数人、撮影をしていたらわいせつな行為だとして警察に捕まったとかなんとか。白い粉を落として警官をからかったバカが逮捕された事件の時もそうだったが、そもそも才能の無いやつが注目されようと努力すると過激なことや他人に迷惑をかけることしかできない、やらない。触法ネタでしか勝負するしかないほど、そもそもの能力が低すぎるわけだ。能力が低いから、まともなクリエイターが避ける触法ネタでしかやっていけない。

 下ネタやエロネタ、触法ネタでしか注目を集めることができないというのは、クリエイターとして失格だということを知っておかないといけない。

 きちんと才能があるクリエイターは、他人と同じようなことをしていながら、他人と違う何かを引き出して表現する能力がある。だからこそ注目される。しかし、その本質的な部分が分からないバカ、というか分からないからこそバカなのだが、そいつらは同じようなことをしてもその他大勢に埋没してしまう。なぜなら同じようなことをしても、何かきらりと光る違うところを引き出す力がないからだ。要するに才能がない。他の人と同じがそれ未満のことしかできない。でもできると信じている。間違ったプライドだ。まあユーチューバー(笑)の世界にいくということは、ただのカネ目当てだろうが。

 まあそうなると、そういうバカは、普通の人がやらないことで注目を浴びようと画策するのだ。かつての雑誌や新聞、テレビやラジオと同じように、インターネットが主導権を取る時代になったからといって、所詮は数字がものを言うという世界の形は変わっていない。だから、どんどんと物作りが過激で頭の悪い方向に進んでいく。そういうカテゴリーは誰もやらないから、ブルーオーシャン(笑)ってやつだ。そういうバカは未開の地だと思って喜んでエログロ触法ネタでものをつくる。そこが立ち入り禁止の地帯であるにもかかわらずである。で、警察沙汰になるわけだ。

 ユーチューバー(笑)に限らずだが、何かものをつくるという行為は本当に地道な試行錯誤の連続だ。己を信じてそれをずっと続けてきた人たちだけが、人々に注目されて喜ばれるコンテンツをつくることができる。端から見ると簡単そうに見えるが、決してそんなことはない。しかし、バカは「こんなのおれでもできる」と簡単に参入してきて、箸にも棒にもかからないという現実に向き合うことになるが、バカであるがゆえにそれが理解できない。結果的に警察沙汰になるような、「ちゃんとした人はやらないネタ」でしかコンテンツをつくれない。

 本当にバカは悲しい。バカは罪である。涙が出てくる。

 しかしあれだ、こういうバカな連中に「好きなことで生きていく」という幻想を持たせて、カネだけかすめ取るGoogleの罪は重い。