如何ともしがたい何か

便所の壁に殴り書き

忖度ばかりの組織で働いている

 個人的な話だが、自分の働いている会社が忖度ばかりの組織で困っている。「忖度」といえば一時は流行語みたいな扱いをされ、方々で批判をされたものだ。が、自分が置かれている忖度ワンダーランドで生きていると、裏側や現場の人々の思いが手に取るように分かる。そして、つらい。

 忖度の根源にある有力者の言動なんて実はどうでもいい。きっとその有力者だったら「こう言うだろう」みたいなものを周辺が勝手に考えて、それにそって全てが決まっていく。すべてが内部の空気でつくられた想像の産物でしかない。それですべてが動いていく。合理性のない虚像だけで組織が動いていくという流れの中にいるこの違和感。うまく表現できないが、日本という国にいながら、何か別の国にいるかのような感覚。ニュースやらで見聞きする世間の姿とはほど遠い、前近代的な空気が漂う空間で過ごしていると、やはり白昼夢のように何か別世界にいるかのような気がしてならない。

 忖度するという行為が不必要とは言わないが、毎日毎日どこにでもこういう空気が漂う組織が、果たしてこれから生き残れるのだろうかといつも考えている。すさまじいスピードで社会が変わりゆくなかで、業界を問わず内部の空気で行き先を決めるような組織が生き残れるのだろうか。そもそも、そんな組織が今の社会に受け入れられるのだろうか。

 結論を言えば、近い将来無くなってしまう会社なのだろう。少なくとも、今から気が付いて方向転換をしたとしてももう間に合わないはずなのだ。まあまあ何と言うか、再就職の準備くらいはしておかなければいけないのだろうなと思う毎日である。

やっぱり器用は損だよな、という話

 最近、仕事場での仕事を器用にこなすことが得策ではないと感じるようになった。というのも、各方面から降りかかってくる仕事をこなしていると、「あいつはできるやつ」みたいな感じで無茶ぶりがどんどんと増えてくることが分かったからだ。

 どこで誰か言い出したのか知らないが、「仕事は忙しいやつにまかせろ」という言説がある。これを額面通りで受け取って、忙しいやつにどんどんと仕事を任せるバカが量産されているのだろうが、いかにもバカの所業。まあまあバカとまでは言わないが、本来ならば効率的な仕事の分配が組織全体を効率的に動かすことになるのだろうが、変な言説のせいでいびつになっている。行き着く先は、仕事ができる人の過労死であることは言うまでもない。

 効率的な仕事の配分ができなければ、その組織は壊死する。それは、仕事ができる人が過労死する、あるいはあきれて新天地を求めて退職するという事象で表面化する。そして、そこまでは仕事ができない人に仕事が降りかかる。あとは最初に戻る負のサイクルというわけだ。

 まったく、管理職というのはいったい何を管理しているのだろうか。

「リア充を爆発させる」時代

 非モテ人間が過激化して誕生した「インセル(Incel)」がアメリカで無差別テロをして社会問題化しているのはニュースの通り。

 こういうインセルのような過激思想の緩いつながりが発生する土壌は、日本にもきちんと醸成されていると思っている。いつどこで「リア充爆発しろ」と叫びつつ物理的に爆発させるような事件は起こりうると思う。かなりの確率で。

 そういえば秋葉原でも無差別連続殺人事件があったっけ。

 これは資本家と労働者の対立による革命思想と似てると思っていて、その根底には「独占をずるい」とか今の社会的立場では「何をやってもだめ」という悲観的現状から、ならば暴力革命しかないという運動の形成と同じだと思う。

 「リア充は爆発しろ」ではなく、「リア充を爆発させる」時代なのだと感じる。