如何ともしがたい何か

便所の壁に殴り書き

ネット上に輝いていた光は蜃気楼だった、という話

 某外国の偉い人がネットの偽ニュースに釣られるとか、国内では大手がこぞって運営していたパクリサイトが炎上して軒並み撤退とか、ネット界隈が騒がしい年末である。これからのネット界隈を考える上で、ネット上に出回る情報の真偽そのものに関する議論が出てくるようになるだろう。それは「リテラシー」などという陳腐なお笑いワードではなく、もっと根源的な目利きというか、そもそも情報に対するアプローチの考え方そのものなのだろう。

 ネットが真実や隠れた事実を伝える万能の神のように持ち上げられていた時期があったけど、それはすっかり幻であり蜃気楼であり、むしろ毒素を吹き出す底なし沼だった訳で、歩くたびにHPが減るというやっかいな空間になってしまった。これは洋の内外を問わず、そういう段階にきている。

 結局、情報を摂取する元が印刷されたメディアだろうが、ネット上のメディアだろうが関係ないというところに戻ってくる。どこで発掘されようと宝石は宝石だし、乾燥した糞は糞に過ぎない。乾燥糞を手にして喜んでいる人のいかに多いことか。

 いろいろ深く考えていかないといけない。

インターネットはからっぽの洞窟

インターネットはからっぽの洞窟

当たり前が破綻しつつある日本のシステム

 佐川急便の仕事がひどいとか遅配が過ぎるとか、ドミノピザが予約客に対してとんでもない遅延をして騒ぎになったとか、年末の忙しい時だというのに話題に事欠かない。

 佐川急便は顕著な例なのだろうが、こういった各サービス劣化の事例は断片的に色々なところで聞いたり目にしたりする。日本の社会全体のシステムが、何か全体的に劣化している。回っていたシステムが回らなくなってきている。これまでの日本社会で普通だったことが、普通でなくなってきている。当たり前が当たり前でなくなってきている。常識が常識でなくなってきている。しかも、劣化という形で。期日や時間の指定をしたら、その指定通りに荷物が届く。割と当たり前なサービスだが、よく考えてみるとすごいことだ。これを難なくこなしていたのが日本という社会だったのだろうが、これがもう回らなくなってきている。佐川急便の悪い評判の数々はその象徴というか、日本社会の崩壊の始まりなのではないだろうか。

 様々な要因はあるが、日本の社会を回すシステムのあり方が、すでに破綻している段階にきているのは確かだろう。これから社会のレベルがどんどんと下がっていく。荷物の遅延ならまだいいだろう。行方不明や盗難すら当たり前になるのではないだろうか。便利が当たり前でなくなる。そういう時代に突入しているのだ。便利や安さ、スピードを追求しすぎた結果がこれなのかもしれない。当たり前だったサービスがいかに尊かったのか、実感する日が多くなるのだろう。そしてみんなで不幸になっていく。

ひきゃく君 佐川急便

ひきゃく君 佐川急便

調子に乗っている嫌いな日

 クリスマスが嫌いである理由はいわゆる「ぼっち」であることが嫌とかそういうのではなく、まち全体、社会全体がなんかうわついたというか、調子に乗っているのが気にくわないからだ。

 いつからクリスマスがこんなうわついた日になったのか。うわついていないといけないような、そんな間違った空気がバブル時代という腐った時代に生まれてそれ以来、なんかわからないが何か調子に乗って何かやってないとダメみたいな風潮になっている。

 そういう軽い感じ、そして乗せられているだけで誰も気がついていない、その地に足がついていない感じがこのクリスマスという日からするのである。

 ま、仕事して過ごしてたし、どうでもいいんだけどね。