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如何ともしがたい何か

便所の壁に殴り書き

情報源のあり方・接し方

 ネットメディアがあれば、いわゆる「レガシーメディア」と呼ばれている新聞や雑誌、テレビなどの既存メディアは無くても十分という意見があります。確かに、ニュースサイトやブログ、あるいはフェイスブックといったSNSをチェックしていれば、レガシーメディアに触れる必要はないでしょう。
 新聞が短い記事で伝えているような役所や企業の発表事項なども、今ではそれぞれのウェブサイト上でその記事の基になったプレスリリースがそのままアップロードされています。記事を読むのもいいけれど、一次情報であるそちらに触れた方がいい場合もあるかもしれません。
 また、林立するブログも目を凝らして見てみると、新聞や雑誌といったレガシーメディア以上の情報収集能力を生かして素晴らしい分析をしている人が本当にたくさんいらっしゃいます。
 このような現状を見てみれば、「ネットがあればレガシーメディアはいらない」という意見もうなずけます。しかし、気を付けていきたいと考える部分もあります。それは「ネットメディアがあるから、レガシーメディアはいらない」という意見は、それだけでは自分の情報収集源を狭めてしまう危険性をはらんでいるのではないでしょうかということです。
 レガシーメディアとネットメディアの違いは、そもそも紙やテレビ受像機で見るかと、PCやスマホ、あるいはタブレットで見るかという形態の違いに過ぎないと考えています。情報が伝わってくるルートが違うだけで、内容はたとえば紙だろうがPCだろうが変わらないのではないでしょうか(もちろん、朝日新聞紙面と2ちゃんねるの掲示板で書かれている細かい内容は違います。ここではもっと広い意味で、情報源という意味でとらえていただきたい)。
 そのため、レガシーメディアとネットメディアという「右か左か」「白か黒か」というような切り分けで考えると、情報収集の本質を見誤るのではないでしょうか。
 最も重きを置くべきは情報の内容であり、それはどこからやってきても一緒だと思うのです。時には新聞かもしれない。ある時はテレビ。別の時はネット。そして、口コミである場合もあるでしょう。
 確かにレガシーメディアには問題点がたくさんあり、「マスゴミ」などと批判されています。それは直していかなければならないことです。一方でネットメディアでもさまざまな問題が出始めているのも事実。有事には口コミでデマや誤報が広がる危険性も十分ありえます。
 このように考えると、ネットなのかレガシーなのか、ルートを短絡的に限ってしまわず、広く情報源を持つことが望ましい情報収集の在り方ではないかと考えるのです。ネット上ではさまざまな情報が手に入るようになりました。しかしまだまだ過渡期。古いメディアでしか手に入らない情報も多いのが現状です。
 自分にとっての情報源とはどうあるべきか。処理しきれないような量の情報があふれるようになった今、ふと立ち止まって考えてみる必要があるのかもしれません。