如何ともしがたい何か

便所の壁に殴り書き

マスコミ批判には永遠にわかりあえない深い深い谷がある

gendai.ismedia.jp
 ずいぶんと投げやりな結論でいかがなものかという記事ではあるが、実際に新聞発行部数が激減しているのがよく分かる内容になっている。そこでやめとけばよかったのだろうが、無責任なオチになっているのはウケる。新聞記者OBの書いた記事にありがちなスタイルだ。

 それはさておき、はてなブックマークでつけられたコメントが、毎度毎度のことだが分かったつもりで冷笑する内容ばかり。ここぞとばかりにマスコミ批判をして溜飲を下げる行為に励む方々ばかりであり、なんとも香ばしい。熱狂的なまでにマスコミ嫌いな人たちが群がっている姿は、この手の記事が注目を集めると周囲で観察できる風物詩である。憎悪に満ちてはいるが、あまりにも小粒すぎて、批判先のマスコミに届くことはない。無念。

 現実の話として、こういった熱狂的反マスコミ陣営の皆さんの声は、批判の矛先である新聞社やら放送局やらに届いているのだろうか。いや、届いていない。厳然として大マスコミ様が存在している以上、まだまだ影響力はあまりにも小さい。そもそも、大マスコミの皆さんが、ぶくまで溜飲を下げるような人たちの声を聞く気はないし、そんなヒマもない。

 だって、そもそもぶくまついてる内容に建設的な議論ってあるか? 耳を傾けたところで有益か? 一方的な思い込みで「ざまぁw」みたいな文句でしかない内容に価値はあるのだろうか。非生産的な内容ばかりで、そもそも相手にするような内容でないのだ。こういうことを書くと、別に議論なんかするつもりはないだの感想を書いているだけだの勝手にマスゴミはなくなるしだのと捨て台詞を吐いて悦に入るだけだろうが、まあその程度ということである。ただ文句を付けて気持ちよくなりたいだけなのだ。

 あと、実際にこういうマスコミ批判を繰り広げている人って、実はすごく少ないのだろうと思う。だって、何も変わってないし。目立つだけで少ない。そして、その少ない人たちだけで小さいシマをつくって、その中でつばを飛ばしながらシニカルなコメントをつけて溜飲を下げる行為を飽きずに続ける。で、はてなスターをつけあって自己満足する。そこには不思議な生態系をつくりだした小宇宙が誕生していた、みたいな。

 そりゃ、これだけスマホが普及すれば、わざわざ1日1~2回届くような紙媒体のニーズなんてなくなるに決まっているのだ。新聞雑誌なんて読まないよ。論調が右か左かなんて関係ない。せいぜいテレビが残るくらいだろう。マスコミ批判する人たちって、新聞雑誌は読んでなくてもご丁寧にテレビだけは見てるから。そして、新聞雑誌業界だって、そのあたりは分かっている。だけどあまりにもスマホシフトの流れに抗えないのが現状のはずだ。主要読者層だった団塊の世代がもうすぐいろんな意味で引退の時代になる。その中でジャーナリズムの方向性を探っているようだが、まあそのあたりはどうにもこうにもな感じなのはみんな知ってる。

 というわけで、ぶくまあたりでつば飛ばして悦に入ってる人たちを相手にしているヒマなんてないし、話を聞く余裕すらないわけだ。まあ、そういう人だってニュースはどこかで読んでいるはずだし、散々文句言って新聞社雑誌社配信のニュースをネットで読んでるわけだ。ニュースはなくならない。ジャーナリズムもなくならない。ただ、ジャーナリズムの質はこれからどんどんと落ちていく。それが日本人が望む道だということだろう。ジャーナリズムの劣化は割と思わぬ形で表出する。第2次世界大戦前夜の日本を少し学べばだいたい雰囲気は分かるはずだ。

 というわけで、あさっての方向とはいえ一応それなりに企業努力をしている大マスコミと、それを遠くから取り巻いてマスコミ叩きを楽しむ人たちという香ばしい生態系は、これからもずっと変わらない。それぞれ全然別世界にいて、この先永遠と接触することはないのだから。

 結論としてはそういう生態系ではてなはもうかりますよ、と。

あおり運転する馬鹿は永遠にいなくならない

 あおり運転による死亡事故が世間を大きく動かしているにもかかわらず、まだあおり運転をやめない連中が多い。逮捕される事案も定期的にニュースになる。

 一体あいつらは何者なのだろうか。これだけ世間で問題に取り上げられ、犯人は悪玉としてたたかれているというのに。まあたたかれるのは当然なのだが、そんな中でもあおり運転をやめないやつらはどんな思考回路をしているのだろうか。

 あおり運転が厳罰化されたとしても、こんな社会の流れの中でもあおりをやめない連中には何を言っても無駄なのだ。なぜなら馬鹿だからだ。馬鹿は馬鹿故に、すべての理屈が通じない。自分のことしか考えていない単細胞でしかなく、だからこそ馬鹿なのだ。あいつらには厳罰化だなんだの言っても抑止力にはならない。なぜなら馬鹿だからだ。もう馬鹿だからだとしか言いようがない。すべてが通じない無敵の存在なのだ。もしろん悪い意味で。あいつらの前ではすべてが無力なのだ。

 よくあおり運転するやつは死刑にすればいいという話がでてくるが、馬鹿にはそれは通じない。厳罰化して死刑相当という罪になったからといって、あいつらにはそれは通じない。あいつらは自分のことしか考えていないし、半径1メートル程度の世界でしか生きていない単細胞なのだ。厳罰化なんて概念が通じるレベルでない。いくら厳罰化して死刑相当になったとしても、ただ死刑囚が増えるだけで要するに税金の無駄以外でしかない。

 われわれはどうすればいいのか。

 野良犬に手をかまれると思ってなどというレベルの話ではない。狂犬以上のタチの悪さのあいつらに殺されないためには、われわれはどうすればいいのか。馬鹿にはすべてが無力なのだ。われわれは馬鹿から逃げるしかないのだろうか。われわれは何もできない。

 なんという法治国家。クソ食らえのこの世界。

交通事故は馬鹿からいかに身を守るかなのだろうか

 交通事故は自分が起こすことに気を付けるのはもちろんだが、いかに想像上のことをやらかす馬鹿による事故に巻き込まれないかが大事だと思うことが多い。自分がいかに気を付けていても、馬鹿にひき殺されてしまってはどうしようもない。自分は死んで、馬鹿は生き残る。不条理の極みだ。馬鹿は馬鹿なので予想以上のことをしでかす。なぜなら馬鹿だから。相手の命を削りにかかる馬鹿からいかに身を守り、生き残るか。修羅の世である。