如何ともしがたい何か

便所の壁に殴り書き

子は親の背を見て育つからちゃんとした背中を見せろよな、という話

 まったく予定は無いが、もし自分に子どもができたらどういう教育をしていけばいいのかとぼんやりと考える時がある。

 まあまあ子どもどころか結婚ですらまったくめどがつかない状況で何を妄言を吐いているのかと。というのも、同年代は普通に結婚しているし普通に2人くらい子どもはいるしと、明らかに社会的に立ち後れている焦りから来ている妄言だが、それはそれ。町中で明らかに同年代の夫婦が小学生くらいの子どもを連れて幸せそうに歩いていると、思わず「うわーっ」と声を上げながら走ってその場を逃げたくなる衝動にかられる。もちろん見なかったことにしてその場をさっさと離れる。涙を拭きながら。

 それはさておき、昔の洗剤のCMに出てくるような理想的な親子連れだったらいいんだが、明らかに困った感じの親子連れもよく見られるようになってきた。お前らよく子どもをもうける気になれたな、お前がまだ子どもだろうというような親だ。きちんと親になるような人格などもっておらず、ただただ獣のようにもよおした劣情の果てに交尾をした結果、子どもができちゃったんだろとしか思えないタイプの親だ。

 思わず悲しくなる光景がある。

 子連れの父親がコンビニやファーストフードの店頭にて、店員さんにからんでいる場面に出くわすことがなぜか多い。何が原因かは知らぬが、「わかってんのかよてめー」「どーすんだよコラ」などという明らかな暴言をこれ見よがしに店員さんにぶつける父親。何があったかしらないが、店員さんが平身低頭、平謝り。だいたいはスルーするが、たまに一部始終を目撃してしまい、明らかにこじつけで因縁つけてるとしか思えない場合もある。ただただ反撃をしてこない他人にマウントポジション取って優越感に浸りたい、チンカス特有の示威行動である。

 そして、すぐそのバカ親の隣にはその様子を見る子どもが立っている。

 印象的なのは子どもの表情も、別にいつもの風景のように変化はない。普通にしてる。そう。この家族にとってはこれが普通の光景なのだ。これが普通の生活なのだ。ほかに人がたくさんいるところで店員さんに暴言を吐くのが、この家族の常識なのだ。つまらんことで罵倒をあびせてマウントポジションをとるという弱い者いじめをするのが、この家族の日常なのだ。というわけで、この子どもは店員さんにはこういう暴言を吐いていい、これが普通だということが教え込まれてしまうわけだ。弱い者いじめを親から直々に教わっているというわけだ。何という野生動物な世界なのだろう。そして、そんな親の姿を見せつけられる子どもがかわいそうすぎる。

 想像にかたくない。この子どもは将来、同じように弱い者いじめを何のためらいもなくする。そして、また子どもができたら戒めるという気配すらなく、同じような行動を子どもの前で見せることだろう。

 クズの再生産システムの完成である。見事な系である。

 教育論とか子育て論とか、いろいろあるのだろうが、自分が感じるのはぜんぶ「親次第」ということだろう。広くいうと「環境次第」という当たり前のことなんだが、やっぱりそれが分かってないクズ親がたくさんいるのだなあというのは強く感じる。いい学校に通わせるわけでもない。何か習い事やスポーツをさせるわけでもない。親が親らしい背中を見せる、ひいてはきちんと人間的、社会的な姿を見せてあげるという環境づくりが基本なんだろう。子どもは悪くない。

 きちんとした親の背中を見せられない親は、児童虐待でしょっぴかれてもしょうがないと思うよ、ほんとに。