如何ともしがたい何か

便所の壁に殴り書き

馬鹿なユーチューバー(笑)どもはさっさと淘汰されてほしい

 なにかユーチューバー(笑)とやらがまた問題を起こしているらしい。いちいち紹介するのも反吐が出るのでリンク等々は張らないでおく。

 前にも書いたことだが、壊滅的なまでに才能は無いクセに注目だけは浴びたい、そしてお金が欲しいというようなクズが、こういったネット上での活動をすると最終的には100パーセントの確率で過激な「触法行為」に行き着く。

 きちんと分をわきまえているユーチューバー(笑)は触法行為なんてするわけがない。触法というのは触法というくらいなのだから、人間としてやってはいけないことなのだ。まあユーチューバーが人間ならば、という仮定であるが。そして同時に、触法行為をすればアクセスが稼げることは本能的に知っているはずなのだ。なぜなら、他の人が決してやらないことだからだ。他の人がやらないから、やれば注目を浴びる。だけど、やらない。なぜなら違法・触法だからだ。

 だけど、壊滅的に馬鹿な奴が考えるプロセスは違う。誰もやってないのだから、やる。そして、注目を浴びる。そこにはそれが違法であるか、触法の可能性があるか、社会的モラルとしてどうなのか、という視点はない。なぜならば、そいつらは馬鹿だからだ。馬鹿にモラルだとか法律だとかが通じるわけがない。なぜなら馬鹿は馬鹿だからだ。人間として生きていない。ゴキブリと同等だからだ。彼らのような単細胞生物には、注目度だけが真実なのだ。

 ま、どんどんユーチューバー(笑)で逮捕者とか事故死者が出ればいいと思う。そうやって世の中はちょうどいい位置に修正されていくのだ。できれば関係ない人を巻き添えにしないで、自損で破滅すればいいと思う。ま、馬鹿にそういうこと言ってもムダだろうけどね。で、馬鹿が破滅していく一方でGoogleだけがカネを巻き上げていくという賢いやつが馬鹿から搾取していくという構造。

自称ユーチューバーとかいう馬鹿がそのうちやらかす

 Youtuberなる単語ができはじめてずいぶん経つけど、アクセス目当てに危険なことをやり始める馬鹿が出始めているあたり、ニコニコ生放送で視聴者を稼ぎたいあまりに触法行為などに手を出す馬鹿が頻出した歴史をなぞるようで興味深い。そのうち逮捕者や大事故を起こして物理的にケガをする奴が出てくるのではないかと思っている。とはいえ、ドワンゴと違ってgoogleは賢いだろうから、そういう馬鹿が出てくる前に芽は摘むのかもしれないが。

 数字目当てに過激なことに手を出し始めるってのは、ネットが生まれる前のテレビ番組がそうだったみたいでまさに「歴史は繰り返す」状態。そして、結局欲にまみれた人間はまったく同じような馬鹿なことをやるんだなとあきれるしかない。

お父さんはユーチューバー

お父さんはユーチューバー

表現力の貧しい人が多くて残念だよな、という話

 世の中には、他の人にない貴重な体験をしているというのに、持っている表現力が低すぎてこちらにそれが全く伝わってこないという、残念な人が多い。SNSだとかなんだが浸透して、誰もが文字を書くようになっただけに、表現力の貧しい人間の多さが際だつ。

 例えばだ、世界各地を旅していたりするタイプの人がいる。ひょんなことでそういう人をネット上で発見することがある。自由であり、勇気があり、なかなかできない得難い行動である。確かに尊敬に値する。が、その旅の最中の出来事などなどをブログやSNSでまとめていたりするのだが、気になる点が一つある。紡ぎ出す文章が総じて貧弱なのだ。

 いい景色を見たら「きれいだった」。おいしいものを食べたら「おいしかった」。何か得難い体験をしたら「うれしかった」。それで終わりなのだ。正直、読んでいるこちらとしては「それだけ?」と思う。そして、残念に思う。言を尽くして、その小学生の作文並の表現しか出てこないのか。もったいない。せっかく我々のような人間には体験できない経験をしているのに、すごく小学生並。もったいない。

 しかも、そんな短く中身のない単文を書いて、数行改行してまた短い中身のない単文を書くという、少ない労力で他人の労力を削ぐという馬鹿がお得意の「アメブロ書法」がほとんどだ。実にもったいない。それで文章を書いたつもりなのか。おめでたい。

 「きれいだった」のであれば、なぜきれいだったのか。「おいしかった」のならば、なぜおいしかったのか。「うれしかった」のならばなぜうれしかったのか。そこへの言及がない。そこまで頭が回らないのだろうか。あるいはその程度の貧しい感受性なのか。そして、その程度の表現でその感動が相手に伝わると思っている、おめでたい頭脳。残念である。

 海外旅行、特にバックパッカーといえば、香港から欧州への旅を描いた旅行記沢木耕太郎深夜特急」という名作がある。あれと比べては沢木氏に失礼だが、ネットで旅記録をしている面々の文章レベルの低さは月とスッポン、いや太陽と微生物レベルに距離が離れすぎている。

 悪くいうつもりはないのだが、実にもったいないのだな、これは。我々にはできない貴重な経験をしているのに、それがぜんぜん伝わってこない。それくらい文章能力が壊滅的に低い人ばかりなのだ。まあ別にいまさら何かをして文章力を磨けという説教をするつもりは毛頭ない。ただ一つ、もったいないよとしか言いようがない。

 とはいえ、表現力を磨くことをさぼってはいけない。人と違った経験をしていれば、表現力が貧弱でも受け止める人が補ってくれるとか、そういった甘えた考えはよろしくない。伝えるためには、伝える力を磨き続けないといけない。