如何ともしがたい何か

便所の壁に殴り書き

昭和は終わらない

 1カ月くらい仕事を休めていないので、午前中だけ休ませてもらった。ここまで働かないと回らない会社って、明らかに経営に失敗をしていて、違法な残業や休日出勤を強いることが前提ということは、そもそも倒産しているのと一緒なのだ。あ、もちろん残業代も出ないし休日手当もでない。月末に出す勤務実績表は、毎週休みを取り、午前9時に出勤して午後5時に帰ることになっている。そういうふうに書いて出せと言われている。会社の違法行為の片棒を担がされているわけだ。そろそろ本気で労基署にたれこむべきだと考えている。

 それはさておき、こんな働き方をしながら文句を書くと「そんな会社やめちゃえばいいじゃん。そんじゃーねー」とか無責任に言うバカがまあ出てくるわけだけど、やめられるものならやめたいがそれができないからどうしようって話をしてるんだってのが、そんじゃーねーなバカには分からないわけだ。お前らこそちゃんと自分の頭で考えろと。

 ピラミッドのような構造になってるこのクソ社会で下の方の世界で過ごすと、ネットでアルファな人たちが垂れ流す言説がまったく別の国でのことに思える。スマホはゲームとLINEをするものであって、あとはくだらない芸能ゴシップを読むもの。その他のスマートな要素のある使い方はない。何か仕事に生かすとか効率化のアプリいれてなんとかするとかあるはずなのだが、ない。そういうのは皆無。発想がない。実にスマートでない。安くもないのに宝の持ち腐れな人が多い。せいぜいメールだろうが、それすら危うい。そもそも仕事してると書類送るのだってファクスは現役だし、むしろファクスばっかりだし、ファクスで手書きのが送られてきてそれをPCで手入力して印刷したのをファクスして返したりとか。もうすぐ平成も終わろうというのに。なぜファクスで送ってきた書類に手書きで報告事項を書いてスキャナーで読み取ってPDFにしてメールで送るとか無駄なことがまかり通るのだろうか。分からない。本当に分からない。

 上の方も一応はそういう状況はよくない的なことは考えているみたいだが、そのための会議を夜7時くらいから関係者を招集して開く。夜からやる会議という時点で労働時間を短くしようという意識が皆無なのがわかる。それに今だったらスカイプつないだりとかしたって会議できるのに。みんなスマホ持ってるんだよ。なのに集まらないと気が済まない。みんな仕事やって疲れてわざわざ集まってくる。出先からは1時間も車で走ってきて出る人もいる。みんな疲れているからいいアイデアだって出やしない。取りあえず、ぼやっと「とりあえずがんばりましょう」的な抽象的(というと表現が良すぎだが)なことしか決まらない。それは何も決まってないのと同義だ。

 昭和のままなのだ。すべてが昭和のままだ。もうすぐ平成が終わるというのに。

タダで情報を求める貧乏人に社会が汚染される

 前に書いた記事でも触れたけど、貧乏人ほど身の程をわきまえずに偉そうなことを言ったり、バカ故に低い沸点のためつまらんクレームを付けたりするもの。貧乏人ほど、ルサンチマンを発散するかのようにマウントポジションを取りたがる。自分はクソムシレベルのくせに、だ。

 そんな貧乏人がうっぷんを晴らすとなれば、テレビのコンテンツがそういう低俗な内容になるのは自然な流れ。

 そもそも、情報はタダでは手に入らない。情報をつくる原価だけでなく、利潤を得ようと思えば広告モデルを回さなければいけない。視聴率を稼がなければならず、それはいかにより多くの貧乏人を釣るかという話になる。そのため、金をかけずに情報を得ようとする貧乏人に合わせれば、くだらない話題でマウントポジションを取れる(というか取れたと錯覚できる)という劣悪な内容になるのは自然の法則とでも言うべきだろう。

 そして、タダで情報が手に入ると勘違いした貧乏人が増殖したせいで、広告モデルに基づくシステムが壊れて低俗になっていく。象徴的なのが、紹介したツイートにもある昼間の地上波テレビなのだろう。貧乏人は数百円でお店の店員さんをいじめ、タダで見られるテレビで自分より下の人間を嘲笑して溜飲を下げる。実にディストピア。 

 まあまあ、これはテレビに限らず、ネットでも同じこと。低俗で憎悪をあおるワイドショー的なトレンドブログ(笑)やまとめブログ(笑)ほど、気が狂ったかのように広告がくっついている。貧乏人向けに販売されたスマホを手にした貧乏人が、金を払うことなく簡単に接触できるのは、そういった低俗なサイト。まんまと釣られて、広告を見る。ネットに流れる情報の低俗化のサイクルはこうやって増幅され、ウェブの世界が汚染されていくのだ。

 その一方、お金を持っている人はそういう汚染のサイクルに入らない。放送なり紙媒体なり、ネットなりでもきちんとお金を払う。

 これはお金持ちだからというわけでなく、きちんと対価を払わないときちんとした情報は手に入らないということを知っているからこその行為であって、お金持ちでなくとも、こういう感覚に人は身銭を切って情報にお金を支払うのだ。

 その消費行動には、貧乏人に特有の自分より立場が下の人間の上にまたがるマウントポジションを取るという、下劣な性根がない。生きるために必要な確実な情報を冷静に得ようという考えに基づく行動なのだ。そこがバカな貧乏人との違い。

 自分は何のために情報を得るという行為をしているのか。改めて冷静に考え直す必要があるだろう……と締めくくろうと思ったが、あまり他人のことは言えないのが実際のところ。

生きるための危機管理上、店員さんには優しく接した方がいい

https://www.myprivatecomedy.net/entry/2019/02/21/073000www.myprivatecomedy.net

 前も書いたことだけど、この記事でも書かれているように、店員に対して偉そうな態度をとるバカは損しかしない。同行者や周囲の人、そして店員さんなど360度方向に不愉快な空気をつくり出すという点で、損どころか害悪でしかない。

 まず、そんな偉そうでクズな対応を店員さんにしてまともなサービスを受けられるだろうか。

 考えてみてほしい。特に飲食店なんていわゆる「バカッター問題」で、とんでもない従業員がそこそこいるという現実がある。飲食店なんて客席から厨房が見えないところがほとんどだ。もし、偉そうでクズな対応をする客に対して、バカッターな従業員はどういう対応で抵抗してくるだろうか。

 きっと、おもてだっては普通に接してくれるだろう。しかし、出された食べ物に何を混ぜられているか分かったものではない。バカッターな従業員だって、腐っても従業員。バカな客には分からないように何かを仕込んだり、一度床に落としたものを調理したりして「あいつアレ食ってるよwwww」みたいに陰で溜飲を下げるなんてことも想定できるわけだ。人間なんてそんなものだ。

 もう1点、同行者からの評判を失う。それは後々損だ。

 「情けは人のためならず」という言葉がある。店員さんに偉そうにクズな対応をするバカの姿を見たとする。そうすると、同行者は何かあったときにバカは自分たちにもそういう対応をするんではないかとうっすらと感じてしまう。そうなれば、社交辞令だけで一定の距離を置いた方がいい人物と位置付けてしまうだろう。

 そんなクズな対応をするバカが困っている時、距離を置いていた人たちはすすんで救いの手をさしのべてくれるだろうか。想像してほしい。まあ放置されるだろう。店員さんに優しく接するのは、誰のためでもない。自分のためにもつながっているのだ。

 店員さんに和やかに優しく接するのは、危機管理上でも有効なのだ。