如何ともしがたい何か

便所の壁に殴り書き

儲けだけでメディアを語るバカ

www.mediatechnology.jp

 よく読むと、こいつメディアを儲けられるか否かだけでしか話をしていない。つまりこういうやつらの頭の中は、コンテンツの評価が耳目を集める、すなわちカネを呼ぶかどうかだけでしか評価していない。その内容の真偽や社会的意義のことなんて考えていないのだ。まあ、自己顕示力の塊みたいな連中がしたり顔でうんちく垂れ流すNewsPicksにこそ、社会的に存在意義があるとは到底思えないが。

 日進月歩という言葉すら陳腐になるくらい、メディアを取り巻く環境はすさまじい速さで変化している。しかし、メディアの本質をつきつめると、金銭を求めるビジネスを越えた存在意義を見いだすことができる。それは社会を動かす。陳腐なメディアも社会を動かす。もちろん、悪い方に。

 メディアがどうのこうのと論じるのならば、そのあたりの議論を抜きにしてはいけない。まあ、NewsPicksなんかをありがたがってる、バカなのに楽してかしこぶりたいようなバカには意味が伝わらないと思うけどな。

ツイッターをやめると精神衛生的に健康になるよ

 なぜならバカを目撃しないで済むから。

 貧乏なバカは無料で手が出せるSNSで、何でもかんでも好き勝手にできる。著名なアカウントに腰巾着のようにまとわりついて、いいねいいねと取り囲んでいれば自分も影響力を持ったように錯覚できる。無知で無能なバカにとってはこれほどの甘露はありゃしない。しかし、その甘露には麻薬成分が含まれていることが分からない。利口になったとバカどもを錯覚させることで、金銭的かつ社会的影響力を得ようとする頭の回るクズに搾取されるだけなのだ。

 市民が誰でも参加できるSNSは社会に革命をもたらすだろうか。おそらく、もたらすだろう。しかし、前提条件として、市民が利口であるということが求められる。バカしかいないようなSNSに革命をもたらすようなことなんてできやしない。そこにあるのは退廃と衰退、劣化。愚民はどこにいっても愚民であり、民度の低い人民がもたらすのは破滅しかない。

 ツイッターはもうやめたほうがいいよ。そんなバカしかいない世界にいて何になる?

頭の悪い収益構造はいつになっても続くのではという話

 いわゆるユーチューバー(笑)という言葉もいつの間にか一般化して、まあまあ反吐が出るわけだが、往々にしてそのほとんどが大食いしてみたりとか新商品食べたりとかそういうのに始まって、だいたい何かタイアップしたりとか、「ひも付き」であることが多い。あまりにも多い。露骨なまでに。

 方々で言われていることだが、今までテレビがやっていたような企画モノを少し過激にして、テンポを速くした内容と、今までテレビがやってきたことに収束していく感がある。

 そして、結局は動画再生による広告収入という、今までの収益モデルから脱却することもなく、コンテンツはお金臭くなっていく。内容は低俗なくせして。一周回ってまた戻ってきたという構図。

 はてさて、次はどういうコンテンツと収益モデルが出てくるのだろうか。

 所得格差が歴然としてきて、社会的に富める者と貧する者の二極化が著しい分、カネをぶんどるとすれば当然富める層を対象にしたコンテンツづくりが求められるだろう。富める者からカネをだまし取るのは難しいが、当たりコンテンツをつくれれば安泰といえるだろう。

 問題はその逆だが、貧する層からカネを巻き上げるとなれば、今までのように低俗なコンテンツを少しでも多くの人間に見せて、ほんの小さな小銭をまんべんなく集めるという下劣な手法に頼らざるを得ない。

 それって別に地上波テレビがやってきた手法だったり、著作権無視&デマ上等の低俗まとめブログやトレンドブログ(笑)がやってる手法でしかない。

 引き続き、日本人は頭の中もどんどんと貧しくなっていく。残念すね。

 賢い人はすでに新しい収益モデルの模索に動いていると思うのだがどうだろう。