如何ともしがたい何か

便所の壁に殴り書き

ネットへの記事配信について考えた自分用メモ

 いわゆる紙メディア(新聞社)や放送メディアのニュースサイトに使われる記事は、一部を除いて本来の紙なり放送なりに向けて作られた素材だ。新聞であれば、紙面上に印刷される記事の素材を、そのままネット上に載せる。一方、新興ネットメディアはネット上だけが発表の舞台であり、紙や放送というプロセスはすっ飛ばして最初にネットにアップされる。つまり、旧来のメディアは「ワンクッション」あるということだ。

 新聞社のニュースサイトを例にとると、記者が執筆する原稿・写真は紙に印刷されるという大前提がある。ここで注意すべきなのは、紙には物理的に紙幅という壁があるということだ。新聞であればブランケット判(あるいはタブロイド判)に数十ページという、記事を載せられるスペースが決まっている。増ページを除けば、どうあがいてもこのスペースが広がることはない。

 つまり、新聞社の記事のボリュームの基準は紙という物理的スペースに拘束されている。ニュース選択の価値判断もこの物理的スペースにあると考えていいだろう。

 一方、新興ネットメディアは紙に記事を発表することはない。あったとしても、ネットに掲載されてからになるだろう。当然のことながら、ネットでは記事の長さを拘束する物理的スペースを考えなくてもいい。サーバ容量やデザインの都合はあるかもしれないが、柔軟性が限りなく高いのは言うまでもないところ。書きたければどんなに長い記事も書ける。写真だって何枚も使える。動画だって貼り付けることができる。

 この両者の違いを比べる。前者は紙向けにまとめられた分量の記事であり、ネット上にアップロードされたとしても、物理的スペースを事実上考慮しなくていいネットの環境を使いこなせていない。実にもったいないことなのではないだろうか。紙の載った記事の素材をそのまま貼り付ける。ちょっと味気ないような気がする。実際、個人的感想ではあるが、ネットメディアが同じ話題を載せていた場合、紙メディアのそれは若干物足りない。それもそのはず、限られたスペースしかない紙に向けて書かれた原稿だからだ。芸能ニュースなどでは特に顕著な気がする。

 その点、欧米メディアは新旧を問わず、ネット上の記事は充実している印象がある。ネットの特性を前提とした形で原稿を執筆して、紙や放送、そしてネットにそれぞれ使い分けているのだろうと推測する。

 国内はどうか。産経新聞の取り組みは先進的に見えるが、その他の新聞社はまだまだあくまで「紙ありき」だ。せいぜい記者が撮影した動画が目立つようになったくらいか。有料版へシフトした日本経済新聞朝日新聞もまだまだ「紙ありき」だろう。

 もし、国内の新聞社が本気でネット展開をしたいのならば、恐らくこの「紙ありき」の思想を変えるべきだろう。「紙→ネット」という流れではなく、「ネット→紙」にしなければならないと思う。

 まずはネット前提の記事執筆だろう。ネットに載せるのであれば、字数や行数、写真の枚数は気にしなくて済む。いくらでも載せられるからだ。そして、ニュース価値の判断を経て、紙媒体に向けて原稿を短くするなり写真を取捨選択すればいい。

 少なくとも国内の電子新聞がうまくいかない原因の一つは、この「紙ありき」の編集・執筆の流れだろう。無限に広がる紙とも言えるネットの特性を生かした原稿執筆をすれば、少しは好転するかもしれない。