如何ともしがたい何か

便所の壁に殴り書き

きたる、「無敵の老人」の時代

 自分でも不謹慎だと思うので、書くかどうか迷うところなのだが、書いておくべきだろう。

 もう誰もが少子高齢化時代に日本が突入していることは知っている。特に高齢化は様々なかたちで問題が顕在化している。

 介護や医療などの保険の話。もらい得の年金。そして、「暴走老人」のこと。特にたちの悪い団塊の世代が今後どんどんと齢を重ねていくと、さらに国内の環境は悪化していくとしかいいようがない。

 すでに「暴走老人」が若者を車で次々とひき殺すようなきわめて残念無念な事件も続く。コンビニ突入して破壊するなんて「またか」という風物詩状態だ。

 ではどうすればいいか。ただ待つよりほかない。寿命をもって世代が交代するのを待つしかない。しかし、徹底して経済的に食い尽くされた日本社会には何も残っていない。

 さらに下の世代を疲弊させる現実もある。それは、認知症の問題だ。

 寿命をもってお隠れになる前に、まだ身体は元気なのに、残念ながら認知面に異常をきたす高齢者が今後増えていくことを忘れてはならない。そして、彼ら彼女らは、下の世代をとんでもない形で押しつぶしていく。自分でもわけも分からないままに自動車を運転して、若者をひき殺した老人がいた事件があったではないか。あのような事例が今後どんどんと増えていくのは、残念ながら覚悟しなくてはならない。

 下の世代はこのような仕打ちを受け入れるべきか否か。答えはない。ただ、対策を取らないとどうこうという段階はすでに通り越しており、もはや手遅れだろう。日本社会と経済全体は、いびつな姿でただ無駄に時間だけが過ぎていって、やがて瓦礫しかない焼け野原状態になるのだ。

 考えてみればいい。別に年をそれほどとってないのに、お店の店員やら駅員やらに偉そうな態度を取る阿呆がそのまま歳をとり、それこそ認知症にでもなったらどうだ。「暴走老人」そのものだが、決して逆に殴られることなんてないだろう。日本は「お年寄りにやさしくしなさい」というフレーズがまかりとおる国だ。「暴走老人」はずっと野放しにされ、社会を壊していく。そして、何かあっても罪に問われない。「無敵の人」ならぬ「無敵の老人」だ。

 みんな、もっと危機感を持たなければいけない。「無敵の老人」を回避、防衛できる社会づくりに向けて、我々はなにかできるはずなのだ。でなければ、我々の世代がさきに死んでしまう。

困った老人のトリセツ (宝島社新書)

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