如何ともしがたい何か

便所の壁に殴り書き

貧乏人に合わせないと商売できないCCCもかわいそうだよな、という話

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 いろいろな批判が出ていて、CCCが集中砲火を浴びている。興味深い。

 「店頭で新刊本のメルカリ査定価格が分かったら、新刊本を購入する機会が増える」という意向が半数以上だったという自社調査の結果を実証するための実験として実施。

 これは多分言い訳ではなくて、CCCの中の人たちは天然で調査結果を受け入れて実験したのだろうと思う。天然キャラだとは思うが、物を売る立場からすると実証実験してみたくなるのもわからんではない。個人的には嫌悪感があるが、レベルの低い消費者からカネをむしり取るにはCCCもこれはやってみなければと考えるのも理解できる。

 ここまできたのかと感じたのは、本を買う消費者が盗品市として名高いメルカリで売り払うことを前提に新刊本を購入しているという前提でいるということ。そこまでケチな貧乏根性ばかりになってきているのかと。図書館がただの貸本屋扱いされている昨今の風潮も理解できるというものだ。

 この面白ニュースを聞いて、売却を前提にして本を買って読むという行為は果たして読書といえるのだろうかとずっと考えている。内容をつまみ食いして本というパッケージそのものを換金するという根性で読む本って、自分の身になるものなのだろうか。よく分からない。おそらく、スマホあたりで流れてくる愚にも付かない情報の摂取と、読書による情報摂取がほぼ同列に扱われるようになってきており、情報され手に入れればあとはパッケージとしての本そのものはいらんということなのだろう。説教するつもりはないが、そういう考えはやめといたいいと思うのだが。

 どっちにしろ、売却前提で新刊本を買うとか、ずいぶんと貧乏人根性で満たされた社会になっているなと実感せざるを得ない。そして、そういう貧乏人の機嫌を取らないと商売していけないCCCもある意味被害者なのかもしれない。貧乏が社会を悪い方向に変えていく。残念である。