如何ともしがたい何か

便所の壁に殴り書き

最後の護送船団としての新聞業界。しかしその船からはネズミが消えている:「新聞社 破綻したビジネスモデル」河内孝

 発行は2007年。

 もはや「マスゴミ」という呼び方もすっかり定着した感があるわけだが、なぜマスコミはここまで嫌われているのかというのを解き明かそうとすると、実はよくわからない私情が入り込んだり、ポジショントークになってしまったりで、理屈で説明することがやっかいだったりすると思う。

 この本では、「日本のマスコミが駄目な理由」を多くの資料を元に、新聞社の悪しき慣習や仕組み、さまざまな暗躍を紹介することを通して日本のマスコミの患部を明らかにしている。著者自身が毎日新聞社の元常務ということもあり、なかなか生々しい経験談もある。これは面白い。

 まず著者は、新聞の部数が減り続けている背景にあるのは、マスコミが言う「活字離れ」ではなく「新聞離れ」に過ぎないと断言している。では、なぜ新聞離れを招いたのか。その理由について、販売政策を中心に、紙面上で展開している言論とまったくかけ離れた経営をしている現状を挙げている。いわゆる「押し紙」や「積み紙」と呼ばれている残紙問題だ。実際は配達されない新聞を販売店に送り込むことによって、ABCの調査を”操作”しているというものだ。部数至上主義がもたらした悪弊が、もはや取り返しのつかないところまできている点を資料に基づいて指摘している。また、肝心の新聞紙上の言論についても、読者=市民を置き去りにした過激な報道競争によって、市民がすっかりと新聞から離れてしまっていることを書いている。

 そのほか、戦後勃興しはじめた放送局の系列化への新聞業界の暗躍の様子。そして、それによってもたらされた報道の画一化への道を描く章は、いまいち新聞と放送の資本関係の裏側を知らなかった自分にとっては新鮮な内容だった。

 いずれにせよ、新聞業界がいかに凝り固まった最後の護送船団なのかということをこれでもかと知ることができる本。別の観点から見れば、もう今という時代に適合していないビジネスモデルを、自転車操業状態で動かしている実態がわかる。日本の新聞はもう風前の灯火なのだ。

 ただ、著者がこの本の中で、中日新聞などと業務提携するというような毎日新聞の再生計画を示しているように、まだ望みはあるとしている。その裏には、伝える媒体が紙だろうがネットだろうが、伝えるという新聞社本来の役割は無くならないという思いがあるからだろう。ちなみに2009年、毎日新聞社共同通信に再び加盟している。別の加盟紙との連携も打ち出していたがこれいかに。

 出来事を伝えるという記者の仕事は無くならないだろう。しかし、新聞業界が紙に印刷して売るという業態にこだわる現在の商売方法では、先は明らかに見えない。でもこだわっている。何でだろう。自分にはよくわからない。

 後半部では、先行するアメリカや韓国の新聞業界の状況をリポートしている。どこもうまくいっていない。試行錯誤している。先行しているアメリカですらこれなのだ。内輪の論理だけで、小手先だけで何とかしようとしている日本の業界はもうだめなのだろうな、と確信した。

 メディア批評を学ぶ入り口となる良テキストかと。