如何ともしがたい何か

便所の壁に殴り書き

ゴミはゴミだがゴミ山になると価値が出てくるかもしれない

 ゴミは単体ではゴミであるが、それが集積すると「ゴミの山」という一つの意味を持った集合体になる。

 集合体になるということは、何らかの意義を持ち始めるということだ。ゴミはゴミだが「たくさんのゴミがある」という存在が出てくる。

 ゴミはゴミだがゴミの山には意味がある。悪臭を放ちネズミなど害獣の巣窟になり、近所からはゴミ屋敷などと蔑まれマスコミが面白がってやってくる。やがて行政が代執行あたりでこのゴミを排除しようとする。

 と、実際のゴミはこういう感じなるわけだが、例えばネット上に無数に散らばるコンテンツだってそういうものだと思う。

 ネット上にある多数のコンテンツの99.99%はゴミだ。このブログだってゴミだ。読む価値なんかない。ただの自慰行為として書いているクソブログにすぎない。

 しかし、そんなゴミが集積して大きな山をつくることで何か意味が出てくるのではないだろうか。

 Googleあたりはその辺りで、ゴミの山は宝の山なんじゃないかという仮説を立てて検索のインデックスを作っている。いわゆるロングテールってやつもこの辺りにあるだろう。ゴミはゴミだが、そのゴミを必要としている人がどこかにいるかもしれない。部品取り用に古い機械を持ってくるような感覚だ。とはいえ、拾ってきたゴミは結局ゴミであることが多いのだが、まれに再利用可能な何かが山に埋まっていることもあるから侮れない。

 繰り返すが、ゴミはゴミ。ゴミ以上でなくゴミ以下でもない。だがゴミの集積には何か意味がある。山になることで何か価値が出てくるかもしれないから。